葛西紀明(かさい・のりあき)土屋ホーム2009/06/05 00:00

1972年6月6日、北海道下川町出身。36歳(取材2日後が37歳の誕生日)■日本勢最多の6大会連続の五輪出場を目指す。 92アルベールビル、94リレハンメル、98長野、02ソルトレーク、06トリノと日本勢最多タイの五輪5大会連続出場(原田雅彦と同じ)。■リレハンメル五輪団体銀メンバー。リレハンメルで団体銀メダルをとっているが、五輪での日本選手は原田の印象が強く、五輪と縁が薄い選手という言われ方をしたことも。■世界選手では今年(09リベレツ)、2年前(07札幌)の団体銅メダルアンカー。03年に個人ノーマル、ラージ、団体とジャンプ全ての種目でメダルを獲得した。■W杯15勝は日本選手最多タイ(船木も15勝)。今のジャンプ陣の中で真っ先にW杯で優勝(92年)、またラージで149メートルだったか、当時ラージ世界最長を飛んだこともあり、五輪男の原田、W杯の葛西という印象があった。■昨シーズンのW杯は優勝こそなかったが、2月のビリンゲンで3位表彰台に上がるなど、コンスタントな成績でランキングは日本勢のなかでは最上位の15位。 所属チームでは今年度、監督に就任。■(東海大四高、地崎工業、マイカル、土屋ホーム)

岡部孝信(おかべ・たかのぶ)雪印2009/06/05 00:00

1970年10月26日、北海道下川町出身。38歳。五輪時は39歳。■長野金メダリストが4回目の五輪を目指す。■今年3月、W杯世界最年長優勝を果たす。世界のスキー関係者を驚愕させた。ちなみに0809シーズンは国内大会8連勝を含む、出場10試合で9勝。W杯を含み年間10勝はおそらく日本記録。■五輪は初出場だった94年リレハンメル、長野と連続出場。両大会ともに団体でメダルを獲得。その後、ルール変更などの影響や意欲の低下などで、不振が続いたが、コーチに就任した長野金メダルメンバーで同年齢の斉藤浩哉の指導もあり再び世界挑戦を目指し、2005年ごろから復調。2006年トリノ五輪には2大会ぶりに出場。エース格の存在で、個人では日本勢唯一の入賞を果たす。■2007年、2009年と2大会連続で日本が銅メダルを獲得した世界選手権団体では、2大会とも第2グループをつとめ、ここでの岡部のポイントがメダルを呼び寄せた。 五輪出場を果たせば、原田やバイスフロク(独)らよりも年長。世界が注目する。■高いアプローチ姿勢から高いポジションに素早く飛び出す、完了の早さ、方向性の正確さなど高い技術と衰えぬ脚力に支えられた鋭いジャンプが特徴。■リレハンメル五輪個人ラージ4位(当時五輪ラージでの日本勢最高タイ)、団体銀。長野団体金メダル。■世界選手権では95サンダーベイ(加)で金メダルを獲得している。五輪の舞台はそのカナダ。■(駒大岩見沢高、たくぎん、雪印)

伊東大貴(いとう・だいき)雪印2009/06/05 00:00

1985年12月27日、北海道下川町出身、23歳。五輪時は24歳。■五輪の借りは五輪で返す、トリノに続き2大会連続2回目の五輪を目指す。■中学生のころから一般の選手に混ざって大倉山の大会に出場。トリノ前年の2005年のW杯伝統のジャンプ週間で表彰台にあがるなど、若きエースとして期待される。初出場のトリノ五輪では個人2種目、団体と全てに出場したが、実力が発揮できず悔しい思いを残す。五輪の借りは五輪でしか返せないと、バンクーバーには雪辱を期す。■サマージャンプでは圧倒的な成績を残しながら雪上シーズンに期待したほどの結果が出せないのは「チャイナシンドローム」といわれるものの他に、チームのスポンサー問題なども微妙に影響した。■昨シーズンは企業形態変更にともなう経営方針転換に対応する形で所属していた土屋ホームを離れ、実質、所属なしの状況で過ごした。不安定な心理状況下でも世界選手権銅メダルに貢献したのはさすが。世界選手権団体では2年前の札幌大会でも2回目に130オーバーのスーパージャンプをして地元ファンをしびれさせた。■新婚の妻と長男の3人家族。■(下川商業高、土屋ホーム、雪印)

湯本史寿(ゆもと・ふみひさ)東京美装2009/06/05 00:00

1984年4月23日、長野県木島平村(きじまだいらむら)出身、25歳。■五輪初出場を目指す。■昨シーズン、12月のプラジェラート(伊)で悪天候の中、W杯初優勝。長野五輪以降の世代では唯一のW杯優勝選手。高校時代は無名だったが、2007年札幌世界選手権シーズンに急成長。出場機会こそなかったが、世界選手権代表入りした。20代の中心的な存在として活躍が期待される。■(長野・下高井農高、東京美装)

栃本翔平(とちもと・しょうへい)雪印2009/06/05 00:00

1989年12月21日、北海道札幌市出身、19歳、五輪時20歳。■五輪初出場を目指す。■07、09年2大会連続で世界選手権団体銅メダルメンバー。札幌大会当時は高校生だった。■世界ジュニアでは07、08年に個人銀メダル、07年には団体でも銀メダルを獲得している。■2007年夏、日本に遠征してきた海外メンバーがやや手薄だったとはいえW杯と同格のサマーグランプリで優勝を果たしている。冬季のW杯の表彰台、個人でのメダルを獲得して、若手の存在をアピールしてほしいところ。伊東大貴が「ボクは若手というより中堅の部類」と言っているように、若きエースといわれる存在になりつつあるのか。■06年のトリノ五輪に当時、スキー最年少代表となった伊藤ケンシロウと同学年で、札幌藤野中学、道尚志学園を通じで好敵手としてタイトルを争った。トリノの際も代表選考のテーブルに上がった。コンチネンタルで表彰台に上がり代表を勝ち取ったケンシロウと別路線でW杯に召集された栃本との比較は難しいと指摘する声もあった。

竹内択(たけうち・たく)北野建設2009/06/05 00:00

1987年5月20日、長野県飯山市出身、22歳。■五輪初出場目指す。■不振に陥っていた日本ジャンプ界の救世主になるのではと期待を集める「逆輸入」選手。全国的には無名だったが、長野県の国体強化策で来日していたフィンランド人コーチ、パシー・フットネンを慕い、中学卒業後、渡欧。高校時代をフィンランドで過ごす。フィンランドでは陸トレを中心に年間を通じたジャンプトレーニングをこなし、フィンランド国内でジュニア屈指の選手となった。■帰国後の2008年ワールドカップ札幌大会では、「アウェー」の大倉山で2日続けてシングル順位に入った。世界選手権の選考では07、09とも土壇場で落選。悔しい思いをした。バンクーバー五輪の選考ではその「世界標準」の力を発揮できるかどうか注目。■全日本のヘッドコーチ、カリ・ユリアンティラとはフィンランド語でコミュニケーションがとれる。弟の寿はジュノンボーイとしても話題に。■(飯山第一中、フィンランド・クオピオの専門学校、北野建設)

渡瀬雄太(わたせ・ゆうた)雪印2009/06/05 00:00

1982年8月8日、北海道札幌市出身、26歳、五輪時27歳。■初の五輪出場を目指す。■父弥太郎は元雪印で世界選手権代表、妹あゆみも今年の世界選手権に出場したジャンパー。札幌のジャンプ一家として知られる。渡瀬一家が脚光を浴びたのは、そもそも雄太の活躍にあった。雪印杯のテレビ中継で当時中学生の雄太がK点オーバーのジャンプを披露。解説をしていた弥太郎氏は、驚きと喜びでしばし解説者であることを忘れてしまう。■雄太は札幌日大高校の時にW杯札幌大会のメンバーに選ばれたり、社会人を抑えて優勝したりと、超高校級選手として話題になった。2002年のソルトレークシティ五輪でも代表入りが有力と見られていたが、選考過程で精彩を欠き、代表から漏れる。その後、不振が続き、その間、女子ジャンプが注目を集めるようになり、妹も活躍し、渡瀬家の話題の中心は全日本女子コーチの弥太郎と女子選手のあゆみになっていった。■しかし、もともと期待された存在の雄太もそのままでは終わらない。C杯を経て、W杯遠征メンバーに加わり、09年のW杯札幌大会ではシード選手以外でもっとも上位の選手に与えられる「マンオブザデイ」を獲得する。09リベレツ世界選手権代表発表を先送りさせる活躍となった(結果は代表入りを逃す)。■目前で逃した2002年のソルトレーク、不振の中、横目でみていた2006年トリノ・・・、果たしてバンクーバーでは悲願の五輪代表をつかむことができるだろうか。■長身、長い板をはける利点を生かせるか。■(札幌日大高、雪印)

作山憲斗(さくやま・けんと)北野建設2009/06/05 00:00

1990年7月3日、長野県出身、18歳、五輪時19歳。■初の五輪出場を目指す十代。■中野実業高から社会人入り1年目。今回のナショナルチーム参加選手の中では最年少。■3月まで在校していた中野実業高校スキー部にジャンプ選手は作山ひとりだった。県の強化合宿などに参加して、世界ジュニアの代表に。札幌の原田侑武、細田正太郎ら北海道勢の不振もあり、昨シーズン出場したジュニア、少年組のタイトル総なめにした。■世界ジュニア団体5位、6位。2008サマーグランプリ長野4位とFISの主要大会でも好成績を残している。

スキージャンプナショナルチーム始動2009/06/05 01:31

来年2月のバンクーバー五輪を目指すスキージャンプの全日本メンバーの今年度初の合宿が始まった。4日の会見でカリ・ユリアンティラ全日本ヘッドコーチは、個人団体とも色は何色でも良いが「メダルをとる」と目標を語った。確かトリノ五輪前は、「残念ながら入賞が今の日本の実力」と消極的な目標だったように記憶しているが、高い目標に強化指定AとB合わせて8人のメンバーの表情も引き締まった。そのメンバーを紹介しよう。データは記憶違いなどもあるので、公式記録などで確認してほしい。

藤田光里が史上最年少、最小ストロークで優勝2009/06/06 00:00

ゴルフの北海道女子アマチュア選手権で中学3年の藤田光里が初優勝。最年少優勝の記録を塗り替えた。2位は中2で妹の藤田美里で姉妹でワン・ツー。3位も中2の山戸未夢と上位を中学生が独占した。初日首位タイと好発進した山浦麻依子、平野童子、高林里実の大学生が4位タイ。平成13年の優勝者、三島菜津子が7位で続いた。■藤田はこの大会小5で初出場し39位タイ、小6で18位、中学3年間は3位、2位と来ていた。今回は「次は優勝だね」「ホームコースでの大会」などと声をかけられるたびに「ドキッとした」そうで、初日から緊張していたという。2日目のフロントナインがまずまずだったが、「初日は緊張していてどんな良かったのか悪かったのかよく覚えていない、2回目の後半は少し気持ちが抜けてしまった」と振り返った。良いスコアを出しても最終日崩れることのないようにという課題は、「最後は思い出したくない」と18番で短いパーパットを外し75で最終日のプレーは納得いかない様子だった。■これまでの最年少記録は三島菜津子が北海道尚志学園2年で優勝したときのもの。中田美枝も高校2年時に優勝しているが、藤田は2年も更新するものだった。■この日のベストスコア73で姉を追い上げた2位の藤田美里は、昨日までの差が大きかったと池ポチャ、OBなどミスを犯した前日までを悔しがった。小学生の頃から身長も飛距離も先を行く姉を「対等」に追いかけてきた美里。今年は身長も追い越し、練習ラウンドや中学生の大会では「勝っていた」のに目標の大会で姉を捉えられなかった。最終日はワンピンくらいのチャンスにつけながらバーディを逃したホールが3、4ホールあった。またパーオンを逃したホールは殆どボギー。グリーンを狙うショットとアプローチ&パターをもっと磨きたいと決意を新たにしていた。■第41回北海道女子アマチュアゴルフ選手権(6/3-5、苫小牧市・エミナゴルフクラブ南コース)優勝:藤田光里219(72-72-75)+3、2位藤田美里224(74-77-73)+8、3位山戸未夢225(73-76-76)