伊藤杯ナイターで②引退セレモニー2010/03/21 03:30

シーズン最後のナイタージャンプは引退する選手のセレモニーが行われる。今年は桜井一欽(さくらい・かずよし)、澤谷悠造(さわや・ゆうぞう)、竹田翔太(たけだ・しょうた)の3人の選手がシャンツェに別れを告げた。■竹田選手(札幌大学)は札幌日大高校では全道大会で入賞するなどコンバインドの選手としても活躍した。昨年の世界選手権に出場した竹田歩佳選手は妹。歩佳選手は兄の影響で札幌ジャンプ少年団に行くようになったのだから翔太選手がスキーをやっていなかったら歩佳選手が世界選手権に出場する選手になっていたかどうかわからない。■澤谷選手(明治大学)は2003年の全国中学チャンピオン。澤谷選手の妹も女子ジャンプの選手。引退選手が行うファイナルジャンプでは、「女子のゲートから出て妹に勝ちたい」と澤谷、竹田両選手は冗談を言っていた。悪天候で名前の「ラストコール」はあったが、引退ジャンプができなかったのは残念。■明治大学時代学生チャンピオンにも輝いた桜井選手とはジャンプ場でよく話をした。調子が上がらず本当は気分が良くない時もあったはずだが、いつも笑顔やおどけた表情を交えて応じてくれた。出身校が同じだから気を使ってくれていたのか。インカレ優勝は2005年。2008年の宮様ラージで5位に入るなど、シーズン終盤に調子を上げてくるタイプだった。だから競技者としても時間がかかるかもしれないけれど、やがて大きく飛躍してくれるのではと。ジュニア時代から抜群に際立つ選手というわけでもなく、少し不器用だったのかもしれないが、高い「志」が頑張りの根底にあった。「雪印でジャンプができて幸せだった」と挨拶した。いつものようにおどけてみせてくれたが、瞳には光るものがあった。

高木美帆、猛練習(?)の成果は!?2010/03/22 00:38

バンクーバー五輪スピードスケート日本代表の高木美帆選手が札幌ドームのマウンドに立つ。22日に行われる北海道日本ハムファイターズ対福岡ソフトバンクホークスの試合で、5回終了後にファイターズのマスコットB☆Bとバッテリーを組み始球式ならぬ「ハーフタイムピッチ」を行う。始球式のリリーフ登板に札幌ドームが盛り上がるのは必至。高木選手は登板について21日、「(プロ野球のマウンドという)そういうスゴいところに自分が立てるというのはありがたい、というか光栄」とコメントした。■帰国当日は登板に戸惑いも見せていた高木選手だが、帰宅後、友達と自宅前で練習。マウンドとホームの距離は、だいたいこのくらいかなと計り「投げ込み」を行った。友達からは「なんとかなるよ」と励まされたという。高木選手自身は「その場になったら緊張もすると思うし、どうなるかわからない」。大舞台に強いからと水を向けられたが、スケートとはまた違うと首を傾げた。プロのスポーツ選手がどんなウォーミングアップや練習をするのかなどにも興味があるということで、当日は試合前の練習から「見学」したい意向だ。■『ハーフタイムピッチ」を終えた高木選手は、その後、放送席で観戦。テレビコメンテーターとしての登板もある。この試合の模様はUHB北海道文化放送で中継される。開幕3連敗は阻止したいファイターズ、今シーズン初勝利なるか。勝利の女神、「ラッキー☆スター」の登場に期待だ。【訂正】22日のアップ時にテキストの日付が間違っていました。高木選手が登板についてコメントしたのは町民栄誉賞の授賞式があった日で21日(日)とすべきところが20日となっていました。またハーフタイムピッチの登板日、ファイターズとホークスの3回戦の日付も22日(月・祝)とすべきところが21日となっていました。

スケートへの思い強まる!2010/03/22 01:09

21日、幕別町民栄誉賞を受賞したスピードスケートの高木美帆選手はバンクーバー五輪の収穫を聞かれ「先輩方のスケートに取組む姿を見てスケートへの気持ちが強くなった」と答えた。■21日、幕別町の隣の池田町では長島圭一郎、及川佑、太田明生の3選手のお祝いと報告会が行われた。取材に対して長島選手は「ソチで金を目指す」と宣言した。【訂正】22日のアップ時日付が間違っていました。21日(日)とすべきところが20日となっていました。

木田優夫緊急登板2010/03/23 22:19

きのうの話。22日に札幌ドームで行われたプロ野球の北海道日本ハム対福岡ソフトバンク3回戦。2回のマウンドに立っていたのは41歳、メジャー経験もある木田優夫投手だった。先発のケッペルは脇腹痛で1イニングで降板。飲もうとしていたコーヒーさえ飲めぬまま移籍初年度の開幕は突然やってきたわけだ。ファイターズは開幕2連敗中、この緊急事態をベテランは救った。この日は5回終了時にスピードスケートの高木美帆選手がチームを後押しする投球を行うことになっていた。梨田監督は「ひとめ見て勝てると思った」「勝利の女神」と。この日のマウンドで話題を呼んだ2人の年齢差は26歳。楽しいゲームだった。

幕別町にて2010/03/24 21:15

海外遠征で15日の卒業式に出られなかったスピードスケートの高木美帆選手に9日遅れで卒業証書が授与された。■15歳の高木美帆選手は女子スピードスケートでは史上最年少のオリンピック代表。今回のバンクーバー五輪日本選手団の最年少でもあった。■バンクーバーからは3月2日に一旦帰国したが、帰郷はせず一泊しただけで世界ジュニアなどヨーロッパに遠征。16日に帰国、帰郷した。帰宅後も町民栄誉賞、プロ野球のハーフタイムピッチなど大忙し、この日の「卒業式」を終えて一息つける。幕別町立札内中学校では卒業証書授与式の前に五輪報告会が行われ、1、2年の在校生に加え、既に卒業式を済ませている同級生たちも100人以上が駆けつけた。全校生徒約350人の前で、高木選手はオリンピックでは悔しさもあるが貴重な経験ができたと振り返った。そのあと下級生からの質問コーナーもあった。■高木選手の偉いところは、レースの中身を自分の中で分析している点。親子ほどの年齢になる私としては、頑張る姿を見せてもらえただけで、すばらしいと思ってしまっているが、冷静に現実を見つめて上を目指す姿勢があるから安心する。ダルビッシ投手から「そのスポーツを好きになることが大切」とアドバイスされたそうだが、早速、好きになることを実践しているとも。本人が言うように調子の悪いときやその時々の力がどうなっているかはわからないが、この子は大丈夫だろうなという印象を抱いた。■札内中学校の報告会&卒業証書授与式の前に、札内北小学校を訪れている。その様子が北海道新聞で紹介されている。母校の児童から金メダルが贈られた。いいねぇ。

高木美帆選手のコメント2010/03/24 21:51

うろ覚えですが、卒業に関連して高木選手のコメントを■卒業証書を貰って、これで卒業なんだなぁという感じです。制服というより指定ジャージの印象が強いけれど、これで制服も着られないのかな。卒業の感慨は友達に卒業式の話を聞いたときには考えたが、きょうはそういう雰囲気ではなかった。■中学生活は充実していた。一番の出来事はオリンピック出場ということになるのかもしれないが、中学生活では、サッカーとスケートを掛け持ちした「部活」。サッカー部では夏に最高の思いができた。中学3年間は早かった。3年の3学期は学校に来ていないので学校の思い出はないけれど、やっぱりオリンピックに出場できたことは大きい。バンクーバー代表の前と後ではスケートに対する気持ちが大きく変わった。パシュートや男子500メートルのメダルを間近で見て、メダルを目指せるまでになりたいと思った。五輪で印象に残る選手は女子3000メートルと5000メートルで優勝したチェコのマルティナ・サブリコバ。練習環境なども違っていると聞いている、サブリコバになろうとは思っていないが、憧れという意味では印象に残る。■今は、やっとホッとできると思う、少し遊びたいけど、遠出するのは少しめんどくさいという気もするので、近くで遊びたいが、まだ雪も残っているしなぁという感じ。とはいえ高校生活を始めるにあたりけじめをつけていきたい。新生活に向けては教科書をそろえたり、ジャージのサイズをあわせたりしている。高校では友達を大勢作りたい。勉強も頑張りたい。スケートも世界に食らいついていくすべりができるよう頑張っていきたい。スケートはインターハイの学校対抗で優勝するのが目標。シニアの試合でも頑張りたい。姉と同じ高校になるが、兄弟というより、先輩、後輩という立場を大切に考えている。1年生なので、礼儀や挨拶、1年生の役割もしっかりやっていかないと。(今後の試合で、オリンピックに出場した選手として注目されるかもしれないが)、調子の悪いときもあるだろうし、どうなるかわからないけれど、もう、オリンピックのような(納得いかない)滑りはしたくない。1本1本、納得のいくすべりをしたい。

ホクレン女子陸上部新体制発表2010/03/25 00:49

帯広から札幌に向かっているころ、札幌ではホクレン女子陸上部の新体制発表の記者会見が行われていた。会見には出席できなかったが取材にいった者から間接的に聞いた。■10年監督を務めた森田修一氏が退任し、新監督に滝田剛現コーチが就任する。また、オンゴリ・フィレスらが退部する。チームの目標を全日本実業団女子駅伝の上位入賞(3位以内)。個人でも赤羽有紀子選手のように活躍できる選手を1人でも2人でも増やす。地域貢献も。■赤羽選手はデビュー後のマラソン2レースがケガで不本意な結果に終わっているので来月のロンドンできちっと走りたい。来年の世界選手権に出場できるように。駅伝が好き。チームの上位入賞に貢献したいと抱負を語った。

3月25日バッケンレコード記念日2010/03/26 15:15

きのう、3月25日は特別な日です。2005年のこの日、大倉山で行われた伊藤杯ナイタージャンプで金子祐介選手が145メートルの大ジャンプをしました。国内最長不倒でもある大倉山のバッケンレコードです。トリノ五輪のプレシーズンの締めくくり、あれから5年の月日が流れました。トリノ五輪も終わり、その次ぎのバンクーバー五輪シーズンも幕を閉じます。この5年の伊藤杯ナイターについて思い返すと・・・■2006年はトリノから1ヶ月、原田雅彦選手、宮平秀治選手らの引退試合でもありました。原田選手の引退会見、ラスト宮の森(キャンセル)、引退試合と慌ただしい年度末でした。■2007年は札幌で世界選手権が行われた年です。世界最高の舞台を整えるため、エンカル(塩化カルシウム:塩)なども使いジャンプ台を整備しました。科学薬品を使うとその後のコース整備は難しくなります。暖冬の影響もあり大倉山はコンディションを維持できなくなりナイタージャンプは宮の森、大倉とも早々に中止が決まりました。このシーズン大けがから復帰した金子選手を誘って大倉山のラムダイニングで食事をしたのが3月25日でした。■2008年の伊藤杯は金子選手の引退試合となりました。2年前の原田選手のときのような多くのカメラが熱く取材攻勢を展開しました。レコードホルダーのラストジャンプというだけでなく、困難を乗り越えた姿を伝えようとしたからでしょう。■2009年の伊藤杯は女子ジャンプのパイオニア山田いずみ選手の引退がクローズアップされました。山田選手は最後の試合も優勝で飾りました。直前のワールドカップで世界最年長優勝を果たした岡部孝信選手が男子の優勝。世界選手権のジャンプ団体銅メダル、加藤、湊選手が複合団体金メダル報告も行われました。去年の3月25日は内輪の話ですが「バッケンレコードを越えて」の社内報告会がありました。■そして、バンクーバー五輪を終えた今年の大会は20日に行われました。大倉山で行われるようになってからは例年、W杯もすべて終わった3月最後の週末に開催され、海外遠征メーンバーも殆どが顔を揃えた選手総会のような大会でしたが、暖冬の影響でしょうか、それともプロ野球開幕との兼ね合いでしょうか、W杯最終戦と同じ日でしたので、葛西選手、伊東選手、栃本選手らは出場しませんでした。内容は21日にアップしたブログに書きました。葛西選手らは23日(火)に帰国しました。■今シーズンが終わり、また新しい春がやってきます。滑り出したら止まることはできません。また1歩前に進みましょう!

チームパシュート銀メダリスト帰省2010/03/28 05:06

27日の北海道は春の嵐というより、真冬に逆戻りしたような天気でした。新千歳空港でも欠航や遅れがありました。着陸後も駐機場になかなか移動できなくなる便もあり、悪天候に翻弄されました。■夕方の便で、富山から田畑真紀、穂積雅子の2選手が帰省しました。五輪後W杯遠征などもあり、メダル獲得後の初の北海道入りでした。北海道滞在は短期間で報告会やお祝いなど、慌ただしいようですが、育った町で少しでも疲れを癒してもらいたいところです。田畑選手はむかわ町へ、穂積選手は千歳市内の自宅へ向かいました。

母校の地で2010/03/31 00:12

バンクーバー五輪のスピードスケート女子団体追い抜きで銀メダルを獲得した田畑真紀、穂積雅子両選手が高校時代を過ごした苫小牧市を訪れた。■2人はともに駒大苫小牧高校の出身、午後に市役所を訪問。夕刻からはスピードスケート部OB会が主催した祝賀会に出席した。■バンクーバー五輪には駒大苫小牧出身者から日本選手団の橋本聖子団長、スピードスケートコーチとして岸本医科学研究所の長岡弥生監督、代表選手で田畑真紀、穂積雅子、石澤志保の3選手の合わせて5人が参加した。銀メダルを獲得したパシュートの出場権の獲得、組み合わせを決める世界ランキングを決めたのには石澤志保選手のW杯の滑りを忘れてはいけない。■長岡さんは中長距離で頑張り続けた田畑さんがメダルを獲得できたことがうれしいという趣旨の話をされていた。良い時も悪い時も支え続けてほしいと話していた。■ちなみに花束贈呈で登壇した人の中に山中(旧姓・山本)宏美さんの姿があった。■高木美帆の登場、パシュートのメダル獲得も示唆めいて感じる。中長距離が強くならないといけない・・・今回の五輪を通じて思ったことだ。