ズバリ!北海道マラソン予報2010/08/23 00:50

8月29日に行われる北海道マラソンの事前番組(15分)の制作がほぼ終了。あとはオンエアを待つという感じ。なかなか面白い(自画自賛)。北海道マラソンのコースを紹介しながら注目選手のVTRを挟み込んでいる。普通、編集中から繰り返し見ているうちに「飽き」てくるのだが、高見澤パートのある部分は何度見ても「笑う」し、原裕美子のパートはプレビューの度に涙が出てくる。北海道内では8月28日午後3時5分と8月29日午前6時15分から放送を予定しているほか、宮城、静岡、愛知、岐阜、三重、福井、滋賀、大阪、京都、奈良、和歌山、兵庫、岡山、広島、福岡でも放送される。仙台放送、テレビ静岡、東海テレビ、福井テレビ、関西テレビ、岡山放送、テレビ新広島、テレビ西日本の受信エリアです。ぜひご覧下さい!この番組というよりも、8月29日(日)正午からの北海道マラソン!を見てください!!こちらは全国放送です!。

原裕美子に関する記憶①2010/08/23 23:01

原裕美子選手に関する最も古い記憶は、1996年福島で行われた東日本女子駅伝。当時、栃木山辺中3年の原は中学生区間の8区3kmで区間賞を獲得した。第3移動放送車に乗っていた私は栃木チームの追い上げをリポートすることになったのだが、原選手は早々に苦しそうな表情に変った。慣れない3kmを走る中学生が勢いに任せて走り出し、オーバーペースに陥り失速していく姿を何度も見てきた。原選手も表情を見るかぎりオーバーペースでブレーキじゃないかという印象を持った。区間賞をとるなどとは想像もしていなかったから、栃木から応援にきている家族や福島大学に在学中のお姉さんの話題など、サイドネタで話を繋いで終わりにしてしまったように思う。それが、苦しい表情のまま、最後まで走り切ってしまったものだから、随分驚いた。■1999年、シドニー五輪前年の秋に行われた日本選手権。女子1万メートルで弘山晴美、高橋千恵美、山口衛里らに混ざり健闘した高校生がいた。原だった。氏家高校から宇都宮文星に転校したためインターハイには出場できなかったのが、駅伝に向けて頑張っているというような話を聞いた。因みにこの年の東日本女子駅伝でも区間賞を獲得している。ただ、高校卒業後は京セラに進むので「ふるさと制度」でもなければ栃木チームで走ることはなく、福島で会うことはないのかと卒業を感じたものだった。■因に原が東日本女子駅で区間賞をとった年、2回とも栃木は1区(6km)で区間賞を獲得している。96年が当時高校3年の渋井陽子、99年は学生時代の赤羽有紀子だった。

原裕美子に関する記憶②2010/08/23 23:02

時は流れ2005年。シドニー、アテネと五輪は終わり、2大会連続金を受け継ぐ者たちへの期待が高まっていた。ヘルシンキ世界選手権の選考会でもあった名古屋国際女子マラソン。当時、日本記録保持者だった渋井陽子が注目を集めていた。この大会の事前の話題は渋井陽子一色だった。他にはアテネ選考会だった前年、土佐に敗れた大島(旧姓・田中)のリベンジなどが語られる程度。初マラソンの原の名は上がっていなかった。■地元テレビ局では大会前日、記者会見の会場のあるホテルから生中継する特別番組を放送していたが、その番組でも全編を通して「渋井」を押していた。そして、番組も終わりになろうかという時、司会者が出演者の一人、石井信さんにまとめのコメントを求めると、石井さんは原裕美子に注目と名前を挙げた。■僕らマラソン、陸上を取材している者は知っているけれど、それまで殆どプレゼンしていない選手名を突然出されても、多くの人は分かるわけもなく、番組は終わった。原は当時から故障がちで、海外合宿などで情報があまり出てこない状況もメディアの扱いを少なくさせていた要因かもしれない。■深い取材をされている石井さんだから原のデビュー戦にも注目し、結果、優勝者予想を的中させた。その石井さんも今年、急逝されている。原の初マラソン初優勝の記憶だ。その年の夏、ラドクリフの爆走を追いかけた姿は印象深い。心肺機能が優れ、脈拍が普通の人より少ないなどという取材をしたように思う。

原裕美子に関する記憶③2010/08/23 23:06

短髪、サングラス、なりふり構わずかのように走る様子は原のトレードマークだった。当時、監督の大森さんは必死の形相を「テレビをご覧の方にお見せしないようにサングラスをさせたのだ」と冗談めかして話していた。■名古屋で投げ捨てたサングラスは沿道のファンが大会事務局に届け、表彰式会場で原の手元に還った。試合の時だけの特別なサングラスだった。ヘルシンキも同じサングラスをかけ、途中で投げたが、日本から応援に来ていた高校の恩師が拾い、また原のもとに還る。2007大阪では最後までサングラスを外さなかった。■苦しそうな表情で、この子ダメなんじゃないかと思わせるのに頑張り抜く。人間は本当の限界の手前で、心がセーブをかける。本当の限界と無意識に体がブレーキをかける乖離幅を小さくさせることで好成績を出す選手もいる。原は限界を超えて頑張れるタイプの選手なのかもしれない。そして、少し頑張り過ぎてしまっていたのかも。■時折、目を閉じ泣き出しそうにも見る表情、肩を引き上げるような仕草。その度に福島・信夫路を走る15歳の少女が甦る。サングラスをしてもその表情は鮮明に浮かぶ。8月29日、原裕美子、復活の日になるか・・・。