原裕美子に関する記憶①2010/08/23 23:01

原裕美子選手に関する最も古い記憶は、1996年福島で行われた東日本女子駅伝。当時、栃木山辺中3年の原は中学生区間の8区3kmで区間賞を獲得した。第3移動放送車に乗っていた私は栃木チームの追い上げをリポートすることになったのだが、原選手は早々に苦しそうな表情に変った。慣れない3kmを走る中学生が勢いに任せて走り出し、オーバーペースに陥り失速していく姿を何度も見てきた。原選手も表情を見るかぎりオーバーペースでブレーキじゃないかという印象を持った。区間賞をとるなどとは想像もしていなかったから、栃木から応援にきている家族や福島大学に在学中のお姉さんの話題など、サイドネタで話を繋いで終わりにしてしまったように思う。それが、苦しい表情のまま、最後まで走り切ってしまったものだから、随分驚いた。■1999年、シドニー五輪前年の秋に行われた日本選手権。女子1万メートルで弘山晴美、高橋千恵美、山口衛里らに混ざり健闘した高校生がいた。原だった。氏家高校から宇都宮文星に転校したためインターハイには出場できなかったのが、駅伝に向けて頑張っているというような話を聞いた。因みにこの年の東日本女子駅伝でも区間賞を獲得している。ただ、高校卒業後は京セラに進むので「ふるさと制度」でもなければ栃木チームで走ることはなく、福島で会うことはないのかと卒業を感じたものだった。■因に原が東日本女子駅で区間賞をとった年、2回とも栃木は1区(6km)で区間賞を獲得している。96年が当時高校3年の渋井陽子、99年は学生時代の赤羽有紀子だった。

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