福島千里!金メダル/アジア大会2010/11/22 20:32

陸上女子100メートルで福島千里が金メダルを獲得した。【追記23日午前2時】完璧じゃなかった。だから余計に良かった。現実はパーフェクトでないことの方が多いのだ。その中で可能な限り最良の結果を導き出すことが大切なのだ。■高橋萌木子との比較からか福島は先行型と見られているようだが、私はずっと「後半型」なのではないかと思っている。スタートや前半の走りが磨かれ、中間までに圧倒的に優位に立つケースが増えたこと。また、このところ、いわゆる「固く」なってしまうケースがあり、それにより持ち味の後半の伸びやかさが陰を潜めることになり、そのことで結果的に一見「前半型」のレースになっていたにすぎず、もともとは効率的に、伸びやかに駆け抜けるランナーという印象をもっている。■今回はあまり良いスタートではなかったために、最後までチャレンジャーであり続けた。報道によると「レース中のことは覚えていない」とのこと。何も考えず、ただただフィニッシュに向かって、ただただレースに向かって、ただただに夢中で向かっていけたのではなかったか。野性、スプリンターの本能、天性の感覚が甦ったレースだった。

下克上/国際千葉駅伝2010/11/23 17:35

プロ野球、千葉ロッテマリーンズがパリーグ3位から日本一に駆け上がる中での合い言葉が「下克上」だったが、国際千葉駅伝もサプライズ・下克上だった。日本学生選抜が初優勝した。

シンプルだが繊細、奥深い2010/11/26 00:15

うーん、と微妙なうなり声を上げてしまった。寺田明日香が出場したアジア大会の陸上女子100mハードル。横一線の争いの中で確かに先頭に立っていた。7台目あたりでは「いった!金だ!」と歓喜を先取りしたのだが、その先に落とし穴が待っていた。勝利はそう簡単ではなかった。決定的だったのは最後の10台目。リード足がハードルに触れた。重心が前方に移行する前だけに、抜き足を引っ掛ける以上に減速のダメージがあったのではなかろうか。必死で態勢を立て直そうとしたが、ハードルを越えたあと2歩目で大きくバランスを崩した。優勝まで100分の6秒。メダルまで100分の2秒。ため息。自己ベストでも、シーズンベストでも、予選タイムでもリードしていながら、決勝の最後の最後でつかみかけたチャンスを逃した。完敗でないだけに、なんと表現したらいいのか。■アジア大会の陸上競技は25日、女子100メートルハードルのほかに北海道関係者が出場した女子200メートル、女子400mハードルなどが行われた。福島千里(幕別町出身)が100メートルに続く金で2冠。久保倉里美(旭川市出身)が銅メダルを獲得した。■福島は他を寄せ付けない走りで2冠を達成したが、芯でとらえた会心の一撃ではなかったろう。自身への挑戦という意味では少し苦しんだレースだったかな。ただ、硬くなりながら、追撃を押さえ切った、ここにも成長の証がある。力強さが加わったアジア頂点に相応しい姿だった。

福島千里!200でも金メダル/アジア大会2010/11/26 01:08

アジア大会の活躍で過去に取材した福島千里選手のVTRをライブラリーから出して見直す機会ができた。これまでオンエアしていなかった2008年5月の映像が出てきた。この年4月の織田記念で11秒36の日本タイ記録を出した直後、まだ本人は日本のトップに立ったという自覚も自信もない時のものだ。このあと6月の日本選手権、7月の南部陸上でも優勝し、北京五輪の切符を手にし、56年振りの五輪女子100メートル出場を実現するとは・・・夢にも思っていなかった様子。「自分はパッとしない人間だ、記録も順位もパッとしない、でも自分からそんなこと言ってはいけないですよね」と話している(話すペースはゆっくり)。インタビュアーが普段はどんな人なんですか?と聞くと「普通です」と答える。画面には映っていないが、聞き手の目が点になっていたのだろう、「変な答えでしたか?」と探るような笑顔に変わる。当時はカメラマンも同行せず、ディレクターがハンディカムを持参して自分でカメラをまわしながら質問するというような取材だった。日本の陸上界の歴史を変えて行く大樹が地面からやっと芽を出したばかりの頃だった。(100m11秒33、200m23秒62)

歴史と偉業2010/11/27 16:45

「磯崎公美さん以来の女子200メートル金メダル!」福島千里選手がアジア大会で短距離2冠に輝いたとき、実況アナウンスなどで登場したフレーズと名前。磯崎選手は1982年のインターハイ個人3冠、同年のアジア大会(ニューデリー)で4冠(200、400、400R、1600R)に輝いた。陸上短距離界のスーパーヒロインだった。私にとってはほぼ同世代だけに、懐かしさド・ストライクゾーンだ。■福島2冠、翌日の北海道新聞の記事には伊藤佳奈恵さんのコメントが紹介されていた。伊藤さんは女子100メートルの元日本記録保持者。現在、福島選手のコーチでもある北海道ハイテクACの中村宏之監督の指導を受けていた北海道出身のスプリンターで、私が北海道に住み始めた頃、恵庭北高、北海道教育大のユニフォームを着て活躍。北海道から世界に挑んだ。女子短距離の成長に感慨深げだったとある。■北京五輪、56年ぶりの女子100メートル出場に、福島は「挑みつづけた先輩たちに感謝する」と話していた。世界から閉ざされていた空白の時ではなく、その陰にある戦い続けた人たちの尊い姿を感じとっていた。歴史の扉が開かれるとき、挑み続けた者たちの偉業をも甦らせる。【訂正】磯崎さんのお名前を間違えていました。「どストライク」なのにお恥ずかしい・・・。コメントいただいた「Usha99」さんはじめご指摘ありがとうございました。

活力!幕別町!!NANSHO2010/11/29 02:35

真駒内屋外競技場で行われたスピードスケートのジャパンカップ第2戦を見てきました。髙木美帆効果でしょうか、海外遠征組不在でも高校生を始め少し活力があるような気がしました。日曜日に行われた女子の種目は1000メートル、3000メートルとも高校生が優勝しました。画像は3000メートルで優勝した髙木菜那選手。幕別町在住、帯広南商業高校ということでアジア大会の話まで聞いてしまいました。陸上短距離2冠の福島千里選手は同じ幕別町出身、しかも高校も同じ!身近なところにいる凄い人の活躍に大変感動したそうです。

新しい福島発見!来年は11秒1台へ/中村監督2010/11/29 22:59

アジア大会で陸上女子100、200の2種目を制した福島千里選手は記者会見やテレビ出演などアジア大会金メダルのメディア対応などで帰国後も東京に滞在している。が、北海道ハイテクACの中村宏之監督と寺田明日香選手は29日、一足早く、地元・北海道の地に帰ってきた。■今回の成果について中村監督は「勝つことが大きな目標だった。コンディションは8割だったが、そうした中で勝てた。しかも追い込み逆転するという新しいパターンで勝った。『新しい福島』を発見できた。即、世界に通用するかは別にして、評価できるのではないか」と振り返った。「期待されて勝つことは相当な負担だったはずだが、期待の重圧やケガのことも泣き言ひとつ言わずやってのけた」。世界を相手に戦う点については「もっと逞しくならなければいけない」「記録よりも如何に戦うかが大事。そのためにも(11秒)1台を出しておきたい」と更なる進化、挑戦に期待を寄せた。■更にリレーメンバーには北風、寺田を加えたいと北海道から世界への挑戦に意欲を見せた。

千里を駈ける!福島フィーバー!2010/11/30 21:17

日本でこんなふうになっているなんて!?熱烈な応援と歓待の様子を聞かれ福島千里選手は驚きと喜びの表情で答えた。■アジア大会の陸上女子100と200の2種目制覇を果たした福島選手が30日午後、北海道に帰ってきた。28日の成田。29日の陸連会見や文科省関係者への報告、懇談、インタビュー、テレビ出演・・・。テレビ出演は30日午前中のフジテレビ「とくダネ」まで続いた。■午後3時前に新千歳空港に到着。活動の拠点、勤務する北海道ハイテクノロジー専門学校(北海道恵庭市)に移動して出迎えを受けた後、地元での会見に臨んだ。相当、疲れもあるはずだが笑顔を絶やさなかった。■それにしても今回の福島選手は堂々としている。映像で見る限り大会期間中も余裕というのはおかしいが落ち着きと明るさがあった。集中力の高さは保ちつつも何か柔らかさを感じたのは私だけか。福島選手は経験を積むうちに少しずつ気持ちのコントロールもできるようになったのではないかと話した。大会前に足首を捻ったことも、正直、焦ったという。だが、焦ったところでケガが良くなるわけでもなく、トレーナーはじめスタッフもケアに力を注いでくれた。痛みと一緒に走ろうと考えるようになったという。■決して得意ではないメディア対応も自分にできることならばと受ける。お世話になった方、応援へのお礼、報告、スポーツや陸上競技へ理解を深めてもらうためにも大切な機会と考えているからだ。■ただし、競技者として譲れないものがある。これからも自分のスタイルは貫くつもりだ。話すスピードはゆっくりだが、アスリートとしての信念は、その走りのように更に鋭く強くなっている。