北風の存在 ― 2012/06/08 01:57
私の記憶では(思い違いかもしれないが)、以前の北風沙織選手はそれほど熱心な選手ではなかった。■中学生の頃から、その瞬発力は群を抜いていた。小柄とはいえ、俊敏さ、スピード、脚力は同世代のスプリンターを圧倒していた。全日本中学で優勝、高校ではインターハイ(高校総体)、日本ジュニア、国体と高校3冠に輝く。大学進学後インターカレッジでも優勝を果たす。申し分のない成績。類い稀なる才能。しかし、北風選手が好結果を出すのは本気になったシーズンだけ。ジュニア時代、最終学年では優勝するが、それ以外はやる気があるのか、ないのか・・・という時期もあったような気がする。■若くして活躍した選手が成長とともに影を薄め、いつのまにかトップシーンから消えていくことはよくある。北海道内でも将来を嘱望されたスプリンターが数多くいたが、高校や大学、社会人になっても活躍を続ける者は少なかった。北風選手も、そうした例に加わるのか、と考える人もいただろう。■2008年、北京オリンピックのシーズン、北風選手は、そうした見解を覆すはずだった。日本女子の400mリレー44年ぶりのオリンピック出場。そして、個人でもオリンピック代表入りする目標という「強い動機」もあった。開幕戦で11秒42という好記録で走ってみせる。しかし、2006年暮れのアジア大会で、スタート前の軽い跳躍の際に感じた激痛・・・脛の骨折は、翌2007年の世界陸上大阪大会、そして、北京選考シーズンも快走を妨げ続けた。■ロンドンを目指そう!足の痛みが気になるのなら治してから、4年後に向かおう。その判断から2008年に北風選手が脛にメスを入れたのは、今ではよく知られている。そして、予想外にその後、更に2度も手術することになったということも。■この頃の北風選手の表情は曇っていた。それでもチームメートに心配をかけまいとしている様子さえあった。再び笑顔が戻ってくるのだろうかと正直、危うさを感じていた。■2010年、笑顔が戻った。2011年、装った笑顔ではなくなっていた。そして、この頃からだろう。以前の「あまり熱心ではない」というイメージは完全に覆った。不調やアクシデントにも向き合い逃げない。完璧でない現実も受け入れ、尚かつ戦いづづけている「強さ」を感じた。かつてエース的な存在だった選手が、成長した後輩に必死に食らいついて行く。嫌気がさしてもおかしくない。それでも負けても、必死についていく。なかなかできることではない。■「ちーには勝てないかもしれない、でも他の選手には負けたくない」と以前、本音を話していた北風選手。まだ日本のトップに躍り出る前の福島千里選手が、北風を追い続けた結果、08年織田で初優勝し連戦連勝をスタートさせたように、遅れても遅れても福島を追う北風が他の選手には負けない力を身につけていないと誰が言えよう。その姿は福島をも支え成長させてきた。■中学も、高校も、大学もカテゴリー別、世代別ではいずれもチャンピオンに輝いている北風選手。まだ日本チャンピオンにだけはなっていない。そんな奇跡は起きないかもしれないが、少なくとも選考のテーブルに上がることのなかった4年前以上の素晴らしいアスリートになっていることは間違いない。あれから4年、痛みを抱えていた大阪世界陸上から5年。きっと長居で心を動かす風が吹く。
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