高校時代2012/09/02 03:01

記憶が曖昧なのですが、青春のインパクトのせいでしょうか、高校時代の愛知、東海地区は熱かったような感じがします。■県大会の1500m、5000mは有田さん(名電)、清田さん(中京)、船井さん(豊橋工)それに赤堀さん(岡崎城西)といった方々が優勝を争っていたのだと思います。有田さんは順大へ、清田さんは関東の大学へは進まず地元の中京大へ、船井さんは高校を出ると実業団の東洋ベアリング(今のNTN)に進みました。赤堀さんは箱根駅伝の名場面で必ずといっていいほど出てくる雪の箱根6区を駆け下りるあの早稲田のランナーです。当初は競走部ではなく早大同好会、そこから認められて箱根抜擢だったのではなかったでしょうか。■その箱根で早稲田を追った順大の羽柴さんも東海地区、岐阜の出身。ただ、高校駅伝は全国制覇をする中京商業があったので、出場していなかったように思います。米重さんが在学していた時代です。それでも東海大会の1区は羽柴さんが区間賞だったのではないでしょうか。たしか記念大会で東海地区から1校出られる枠があった年だったと思います。1区区間賞はとりましたが、記念枠は愛知の中京がとったのだと記憶しています。■愛知の中京、名電は兵庫の西脇工業、報徳とまではいかないまでも、どちらも全国級のチームなのに全国大会に出場できるのは1県1チームのため、県大会は熾烈な争いでした。今でこそ、愛知は豊川工業が当たり前のようですが、当時は中京、名電の争いでした。両校のエースは地元の駅伝ファンの憧れでした。清田さんは「まむし」とあだ名される粘り、有田さんは長身、洗練されたスピードタイプのランナーで切れ味鋭いスパートで「マムシ」の粘りさえ断ち切る感じでした。東三河勢は豊橋工業が打倒、名電、中京に燃えていましたが、その牙城を崩すのは困難でした。■中京商業が都大路で初優勝したときのアンカー、木村和彦さんは、愛知県豊川市の出身で、陸上雑誌の表紙を飾りました。隣の中学で走っていた私はザワッとした思い出があります。■少し時代が遡りますが、瀬古さんは三重県の出身。私の時代は四日市工業と並んで三重高校も活躍していました。名張桔梗が丘に服部という強い選手もいました。静岡は浜松商業に強い選手がいまいした。古田選手の登場するずっと前です。■そして、女子では1、2年あとになりますが、愛知淑徳高校に妻鹿久美子という選手がいて、超人気でした。あの時代に既にアイドルアスリート的な存在でした。

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