2013北海道マラソン2013/06/04 00:06

今年の北海道マラソンは8月25日です。

鹿角花輪ジャンプ競技場2013/06/04 01:46

スポーツの取材をしていると、選手たちがいろいろな場所へ連れて行ってくれる。2010年、当時中学3年だった高木美帆選手がオリンピックの代表になった。これは取材しないわけにはいかないだろうと、カナダ・バンクーバーに行く機会を得た。◆ジャンプを長く担当していたので、バンクーバー五輪ではウィスラーにも行った。そこでテストジャンパーをしていた田中温子を見た。解説の小野学さんはかなりやせてらして、高い放送席に上がるのに、実況担当アナウンサーが綱を巻いて、サポートしていた。◆1年半後、田中にインタビューしたのが、秋田県の花輪ジャンプ場だった。国内の様々なジャンプ台に行った。秋田県鹿角市にあるこのジャンプ台は岩手、青森との県境に近く、アクセスの手段は秋田市内からばりではない。田中にインタビューした2011年は盛岡から入った。研修宿泊棟や体育館、陸上競技場など運動施設が整っている。管理を東京美装がやっており、去年引退した小山内君は今、そこに勤めているのではなかったか。行っていれば顔をみることもできたのかな。◆このジャンプ台、2007年2月にも行っている。わか杉国体が行われていた。大けがから復帰した金子選手を取材するためだった。その時は夜行列車で函館経由で大館へ。そこからバスで鹿角に行った。後に金子選手の妻となるひとみさんら小さな応援団はマイカーでフェリーを利用して秋田国体にきていた。◆復帰最初のサマージャンプで金子選手が優勝したのもこのジャンプ台だったが、雪上シーズンでの復帰優勝も鹿角だった。そのとき、金子選手はテレマークを入れなかったので、一戸選手に負けたと思ったらしく、はじめ不機嫌そうだったが、優勝であると確認すると、応援にきていたひとみさんのもとへ駆けていく。この場面を撮影した映像はさまざまな番組で放送された。◆2007年のわか杉国体には、成年Aに長野から竹内択、北海道から湯本史寿が出場。少年組(高校生)は栃本、原田、鈴木と北海道勢が表彰台を独占した。成年Cというのがあり、その優勝は東京の松井直也だった。・・・トリノ翌年のこと、あれから6年以上、歳月は流れている。

復活へ!マラソン日本2013/06/05 22:33

2013北海道マラソンが8月25日に行われます。今年は生中継します。放送にまつわるウラ話などを不定期に書いていこうと思います。お楽しみに!◆◆8月25日午前9時スタート!2013北海道マラソン!◆◆

イケクミの思い出2013/06/08 14:27

北海道マラソンに直結するわけではないが、日本陸上界でもっとも大切な大会でもあり日本選手権の会場に足を運ぶ。マラソン担当者として当然だろうし、もちろん北海道関係の選手の奮闘を伝えることも担当するわけだが、内心は山縣、桐生の走りを見たいとうのが最大の楽しみというところか・・・。◆初日、感慨深いできごとがあった。女子400メートルで静岡の高校生、杉浦はる香(浜松市立)が1組トップ、タイムは53秒37の高校新記録だった。これまでの高校記録は柿沼和恵。埼玉栄、中央大、そしてミズノと活躍した柿沼の印象は強い。200、400の元日本記録保持者だが、100メートルも強かった。その柿沼の記録が更新されたのか・・・と。◆もう1つは井村久美子の引退。池田久美子の名前を最初に知ったのは、彼女がまだ中学生だった頃の南部陸上。100mHのスタートリストに山形・酒田三中とあった。リストを見たときは中学生とは思っていなかった。南部陸上では2008年も印象的。◆この出来事があり、次のようなつぶやきをした。→★柿沼の名前が消え、井村(池田)が引退。感慨深いものがある。★エントリーリストで所属を見たとき、はじめ中学の教職員かと思った。実際に会ってみると、山形から来たその選手はまだ、あどけなさの残る正真正銘の中学生、クリッとした瞳が印象的だった。南部陸上には父親に連れられ北海道に。父子の姿を見たのは厚別公園だった。★2008の南部陸上は函館だった。山形・仙台の高校、福島の大学をへてすっかり日本陸上界の顔となったその選手は、選考最後のチャンスをつかんでオリンピアンとなった。★磯崎、北田、小島(新井)ら日本女子短距離のスターの中でも、柿沼和恵の印象は強い。インターハイ個人短距離三冠。400で日本人初の53秒突破。100でも野村、北田、伊藤佳奈恵らの好敵手でもあった。◆7日は平加有梨奈(北翔大)を見るため、バックスタンド側のピットだったにも関わらず、珍しく幅を見に行っていた。イケクミ最後のジャンプも肉眼で観戦させてもらった。ただ、そのときは引退ジャンプとは知らなかった。

汚れたTシャツ2013/06/17 01:26

もう15年以上も前になるだろうか、北海道マラソンのテレビ解説を宇佐美彰朗さん、伊藤国光さんにお願いしたことがあった。打ち合わせの席だったと思う。一通り打ち合わせが終わり、座が和んだとき、伊藤さんが現役時代、初めて宇佐美さんの練習を見たときの驚きについて話しはじめた。◆宇佐美さんは現役時代、メキシコ、ミュンヘン、モントリオールとオリンピックに3度出場、日本記録も作った日本を代表するマラソンランナー。伊藤さんがその練習を目の当たりにしたのは全日本の合宿に初めて参加したときだったという。その練習量、速さと強さに圧倒されたことを、現役引退後も鮮明に思い出すと述懐していた。◆宇佐美さんは宇佐美さんで、実業団に入って日も浅く、マラソン練習に取り組み始めたばかりの二十歳そこそこだった伊藤さんを印象深く覚えていると話したあと、宇佐美さん自身が全日本の合宿に初参加した頃の思い出を披露してくれた。それこそ日本マラソン界の錚々たる巨星たちが居並ぶ合宿だったという。◆宇佐美さんが朝練習の集合時間に行くと、君原健二さんがやってきた。見るとTシャツが汚れている。宇佐美さんは初め、「なんでこの人は朝から汚れたシャツを着ているのだろう」と不思議に思ったという。その時は気づかなかったのだが、シャツが汚れていた理由があとから分かった。君原さんは、朝練習の更にその前、自主トレで既に数十キロ走ってきていたのだった。「それでケロリとしている」。そのタフさ加減に驚いたが、そうした経験や取り組みは日本マラソンの強さとして引き継がれていった。◆リオデジャネイロオリンピックにむけ、ナショナルチーム構想が示された。チームジャパンとして切瑳琢磨し、長期計画で現状を打開、強い日本をとりもどそうという狙いだ。マラソン日本の伝統復活にも期待が高まる。【補足・追記】Tシャツが「濡れていた」、「乾いたものを着ればいいのに」というものだったかもしれません。また、Tシャツではなくトレーニングウェアだったかもしれません。

育成型選考方針①2013/06/21 00:32

2016年のリオデジャネイロ五輪に向け、日本陸連がマラソン代表選考の方針を打ち出した。リオまでに残された時間を最大限にいかし、強化・育成に主眼をおいた強いマラソン日本復活策。代表選手の選出方法に関してはアメリカのような一発選考とは対局にある。■なぜアメリカが1発選考か。それは国の成り立ちや人口、文化など社会背景もあり、そうせざるをえないからという側面もある。また1発選考ではないが、誰を選んでも優勝候補というようなケニア、エチオピアなどとも日本の場合、おかれている状況が違う。■選考方法を人事制度に例えるなら、問答無用で上位3人を代表に決める1発選考は「成果主義」。過去も未来も問わない1度のチャンスでの結果のみが問われ、その結果のみに報いる「結果至上主義」。非常に分かりやすい。■一方、今回、日本陸連が示した方針は、「プロセス」や「可能性」も考慮にいれる能力主義的なもの。成長や育成に主眼がおかれている。目標を掲げ、定期的に行う面談などでフィードバックし、能力を高めていくシステムだ。この人事制度の成否は、査定基準や考課者の力量にも左右される。■1発選考が分かりやすいのにも関わらず多くの国や競技で、その一発選考をやっていない。理由はいくつもあるのだろうが、そのひとつに「そもそも選考会の目的は何か」という点にある。分かりやすさのためにやっているわけではなく、問われている成果は「その先」でのものだ。■「選考会」の結果が真っすぐ反映されたとしても、その先での失敗が続くようでは意味がない。日本の陸上界においてマラソンはメダル、入賞を狙う重点種目だ。天才が現れ、日本に栄光をもたらすこともあるかもしれないが、現状では地盤沈下が激しく、誰を選んでも肝心のその先の戦いに光明を見い出せない状況になりかねない。だとしたら、突然、強い選手の出現する奇跡を待っているだけではなく、何か手を打つ必要があったのだ。【つづく】

育成型選考方針②2013/06/25 20:05

日本のマラソンはオリンピックで輝かし成績を残してきた。1992年のバルセロナは森下、有森で男女揃って銀メダル。有森は96年アトランタで2大会連続のメダルを獲得する。更に女子は世界の頂点へ駆け上がり、2000年シドニー五輪で高橋尚子、そして2004年のアテネ五輪では野口みずきが優勝。2大会連続の金メダルに輝いた。アテネでは野口の優勝を含め男女5人が入賞した(野口が金、油谷&土佐が5位、諏訪が6位、坂本7位)。しかし、2008年の北京では入賞ゼロ。去年のロンドンは男子の中本健太郎が粘りのレースで6位入賞を果たしたが、かつて世界をリードした女子は木崎良子の16位が最高で、2大会連続で入賞ゼロに終わった。◆女子の歴代記録をみると日本記録の野口、史上初の2時間20分突破の高橋、そして、渋井と3人のサブ20がいるこれまた輝かしいものだ。しかし、ベスト10は、9位の重友梨佐を除けば2005年以前の記録で、足踏みというべきか、停滞ぶりが伺える。◆だからこそ「なんとかしなければならない」「手を打つ」必要があったのだ。※7/18訂正 アテネ五輪の入賞者は男女4人ではなく5人の誤りでした。坂本直子選手7位が抜けていました。【つづく】

ジャンプ男女合同合宿2013/06/29 02:14

ソチ五輪シーズンの夏季トレーニングが本格化 全日本合宿には伊東大貴、竹内択、高梨沙羅といった男女40選手が参加。男女合同合宿は全日本では初。五輪新種目の女子は高梨が昨季W杯総合1位もあって注目度も高い。合宿会場の宮の森は1972年の札幌オリンピックで純ジャンプ70m級メダル独占の地。2013.06.28 @Miyanomori SAPPORO