花の1区・継走2014/11/15 22:56

最後の横浜国際女子マラソン。大会前に行われた記者会見も感傷的になる場面があった。■藤田真弓(十八銀行)は「初めてヨコハマを走ったのが2011年、打ちのめされたが、この横浜で自信をとりもどしたいとやってきた」。藤田は2011年2月に2時間30分42秒で7位、同年秋の第3回横浜は2時間35分12秒で10位だったが、2012年には2時間29分02秒(PB)。サブ30で7位に入った。自信をとり戻すことができたのもこの横浜。今の力で世界を狙うとは言えないが2時間27分30秒を切って6位内をと港ヨコハマでの成長を誓った。■昨年の大会で2位(日本人最上位)になりながら、アジア大会代表、ナショナルチームメンバーにも選ばれなかった野尻あずさ(ヒラツカ・リース)は「実業団を離れ、自分のやり方でやらせてもらうようになってスタートを切ったのが、このヨコハマだった。大会は今年で最後になってしまうが、ここから世界に行ったというものを残したい」と歴史にその存在を刻む強い意欲をみせた。(横浜は世界選手権の選考レースで、世界選手権で入賞した日本最上位者はリオの代表が内定する)。■日本選手の会見にはナショナルチームの一員でもある田中智美(第一生命、マラソン2回目、3月の名古屋では新人賞)。そして、初マラソンの岩出玲亜(ノーリツ)も出席した。■何の実績もない岩出が会場の空気を一気に引き寄せた。キーワードは「最後のヨコハマが最初で最後のチャンス」という点。19歳の岩出は「誰もやらないことに挑戦したい、12月が誕生日なので10代でマラソンを走る最後のチャンス」とヨコハマ出場の理由を話した。社会人2年目だが、初めからマラソン志向をもっていたという。今年3月の世界ハーフ出場後から11月のマラソン出場を目指し計画的にマラソントレーニングを積んできたのだという。これは最後のヨコハマで新たな歴史の扉が開く、苦しむ日本女子マラソン界に風穴を開けてくれるのではないかと期待が膨らむ。目力があった。19歳と思えない言葉に力があった。(続く)

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