ガッカリ2015/06/08 00:09

「迷走」の印象を免れない。取材をしたわけでもないし、裏付けを取っているわけでもないから「印象」でしかないが、マラソンの強化、リオ五輪代表選考の方針に関する「ナショナルチーム優先を廃止」というニュースについてだ。本当なのか。失墜した日本マラソンの立て直し策のはずではなかったのか。元の黙阿弥だ。■1964年の東京五輪に向け挙国体制で強化した日本のマラソンは円谷が銅。その4年後に君原が銀を獲得した。所属チームごとに切磋琢磨をしながらも、富士での高所トレーニング、所属チームを超えた合同の合宿など全日本で強化していく体制があった。そう呼ばれてはいなかっただろうがナショナルチームの原型があった。■全日本体制がなくなったのは1970年代後半、「天才」瀬古利彦を指導した中村清(故人)が他の実業団チームとは一線を画し、独自の育成法を導入した。そして、所属チームにタレントを集結させて最強チームを作り上げた。■瀬古、宗、喜多、伊藤国、新宅、中村孝、酒井、今釘、坂本、佐藤…。その後の中山、谷口、森下らタレントがいる、あるいは出現した間はよかったが「天才」は簡単には現れないし、育成の土壌がなければ次は続かない。早田、高岡、藤田…天才は現れたが五輪マラソンでの成功にはつながらなった。崩壊した日本のマラソンを「チームジャパン」で立て直そうとしていたのではなかったのか。■選考会の結果で決める・・・果たして透明性が出せるのか。甚だ疑問だ。北京世界陸上の選考に当てはめるのならば、佐野広明、五ケ谷宏司を選び、前田和浩、藤原正和を落とすとでもいうのか。今回の世界陸上の代表は極めて妥当だったと思うが、ナショナルチームの優位性がなかったら、このメンバーは選べなかった。■今、日本マラソンの復調カーブを後押ししているのは、昔ながらとも言える日本型のノウハウを実践できているグループの効果が大きいと感じているのは私だけか。