マラソン選考反省の歴史(女子)2016/03/06 16:28

ソウルは知らないが、バルセロナ以降の女子マラソン選考の反省と対応の歴史について、個人的な記憶を元にまとめてみる。何分、記憶によるところが多いので間違いがあるかもしれない。あくまで参考程度に。■92バルセロナ五輪。前年の世界選手権で山下佐知子が銀メダル。当時日本最高記録所持者の有森裕子が4位入賞。国内選考会で谷川真理(東京)、小鴨由水(大阪)、大江光子(名古屋)が優勝。大阪では日本最高記録が誕生し、トラック、駅伝で実績を残していた松野明美も有森裕子の自己ベスト(日本記録)を上回り2位に入った。山下の内定は世界選手権終了後の理事会・評議委員会で承認された。松野明美が「私を選んで会見」を開いたが、名古屋終了後に発表された代表に松野明美の名はなかった。選考において世界選手権が優先されるとされた。松野陣営は前年マラソン転向の意思を示していたが自国開催の世界選手権の1万メートル出場を要請され、希望していたマラソン転向が遅れるなど「陸連の意向に従った結果代表も逃した」「五輪に出ていれば金がとれた」と遺恨を残した。なお、大阪4位(日本人3番目)だった山本佳子がリターンマッチとして名古屋へ強行出場を表明するなど五輪にかける意欲を多くの選手が漲らせていた。東京優勝の谷川は2つの選考会で優勝し代表に近づこうとした名古屋で大江に敗れたこと。大江は「実績」や名古屋の内容、タイムで代表入りまでには至らなかった。■96アトランタ。前年の世界選手権は女子入賞者ゼロ、内定者、有力候補は生まれなかった。前回メダリストの有森裕子が北海道マラソンで当時、夏マラソン日本最高の2時間30分突破で優勝。東京で93世界選手権金メダリストの浅利純子が終盤で転倒者が出る大混戦、大乱戦を制し優勝。鈴木博美が好記録で大阪2位。名古屋で初マラソンながらトラックでの実績を持つ真木和が終盤を独走し優勝した。タイムは展開により変わってくる優勝は重いと優勝者3人が選ばれた。実績も考慮したとされた。選考会が多い。また「準」選考レースの北海道だけで決めて良いのかといた批判があり、準選考レースを含め4つあった国内選考レースが3つに変更された。■00シドニー。前年の世界選手権で市橋有里が銀メダル。東京で山口衛里が選考会の中で最速の2時間22分12秒で優勝。大阪で弘山晴美が2位ながら2時間22分台の快走(2:22:56、優勝者と2秒差)。名古屋で日本記録保持者の高橋尚子が2時間22分19秒で優勝した。国内3レースから2人を選ぶ過程では記録、優勝が決め手となった。世界選手権メダリストを内定とした点に関して、ハイレベルな選考を予測できていなかったのではないか、結果を受けて出されもので事前に内定の条件を決めておくべきではなかったかなどの批判があり、以後世界選手権の成績の内定の条件が事前に公表されるようになった。■04アテネ。前年の世界選手権で野口みずき銀、千葉真子銅、坂本直子が4位と2つのメダル3人入賞(規定により野口内定)。東京で前回五輪金メダルで日本記録保持者の高橋尚子が終盤ペースダウンし、エチオピアの選手に抜かれたが日本勢最上位の2位。大阪はスローペースで展開したが中盤で千葉真子が意表を突くスパート、対応した坂本直子が30キロから驚異的なペースアップで押し切り優勝、世界選手権で好成績をあげながら即時内定の出なかった2選手が順位を逆転させて1位2位でゴールした。名古屋は01世界選手権メダリストの土佐がケガから復活し優勝した。当時の強化委員長はこれまでの反省を踏まえ、事前に選考要素を公言していた。その中には「過去の実績は考慮しない、選考会の結果内容で検討する」としていた。それにも関わらず金メダリストを選ぶべきとの世論が起きた。選考方法を周知させるよう報道リリースや記者レクチャーを開催するようになった。■08北京。前年の世界選手権で土佐礼子がメダルを獲得し内定。嶋原が6位入賞。東京で野口みずきが国内選考会最高タイム(自身2度目の国内21分台)で優勝。大阪は初マラソンの福士加代子がハイペースで飛ばしたが撃沈、森本友が日本勢最上位。名古屋は中村友梨香が激戦を制した。選考は世界選手権メダリスト、国内選考会優勝者で尚且つタイムも上位者と順当な代表決定だったが、代表選手が故障し本番の五輪で欠場1、途中棄権1、完走した1名も入賞を逃す残念な結果に終わる。選手のコンディショニングや代表選手の状況把握について課題が浮き彫りとなった。12ロンドンでは代表選手の合同練習やミーディングなどが行われるようになった。■12ロンドン。前年の世界選手権。赤羽有紀子が日本勢トップで入賞、メダルに僅か21秒差の5位だった。即時内定ではなかったが赤羽陣営は以後の選考レースには出場せず海外を含め自己記録の更新を狙う計画を立てていた。国内選考レースは横浜で木崎良子が、また大阪で重友梨佐が優勝。しかも重友の優勝タイムは2時間23分23秒の好記録だった。国内3大会すべて日本選手が優勝する可能性も出てきた。過去の五輪では選考会議にもっとも近い最後の大会、名古屋の印象が強くなる傾向もあった。そのことが判断材料になったかどうかは定かではないが、当初名古屋に出場予定でなかった赤羽は「後悔したくない(戦わずして代表から漏れるようなことになったら後悔する)」と残された選考レースへの出場を表明した。赤羽は名古屋を前にケガをし、練習が積めないまま勝負の場所に出て行って散った。「欠場して選考の結果を待つこともできたはずだが?」の質問に、赤羽周平コーチは「参戦を表明しながら欠場するのは代表を目指すものとして相応しい行動ではない(敵前逃亡は卑怯)」と話し、不利な結果を予測しながら勝負を挑んだことを明かした。名古屋で日本人選手は優勝しなかった。日本勢最先着で代表入りしたのは尾崎好美だった。尾崎は世界選手権で赤羽に、横浜で木崎に敗れたが選考レースを3度走り、追試で代表を勝ち取った。世界選手権5位と名古屋2位のどちらを高く評価したのかなどは追求されることはなかった。また本大会で北京に続き入賞を逃した。■リオの選考では、強化を意識した目指すべき記録や選考会での順位といった目標値を織り込んだ。また選考会の評価範囲も具体的に示し、世界選手権終了時内定を得られない場合は選考の材料としない。国内3つの選考レースに複数出場する場合は最初のレースを選考の対象とすると決めた。世界選手権に出場し、即内定を得られなかった選手が五輪を目指すなら国内選考レースに出場することが必須となった。世界選手権で好成績を残した選手がスケジュールで翻弄されることがないように…というはずだった。