竹内択のことば2014/04/18 01:46

上村愛子の涙ポーズ、葛西紀明の個人派手なガッツポーズ一転団体の涙、メディアの前では気丈に振る舞った高梨沙羅、浅田真央のフリー、羽生結弦のパリ散、カーママ・・・印象深いシーンは数々あったソチ五輪。2ヶ月が経つが、私の中で印象的なことばを記しておきたい。それはジャンプ団体で銅メダルを獲得したあとの竹内択選手がミックスゾーンで話したことばのこと。◆日本語では「団体」と表記するが、英語では「Team」。竹内選手は「日本チーム」でとったメダルとコメントしたのだ。その中で、国内大会で切瑳琢磨した仲間たちがあってとれたものだと口にしたのだ。団体には出場機会のなかった渡瀬雄太を含む五輪代表だけではい。スキージャンプに携わる仲間たちのお陰で獲得できたと話していたのだ。

ぜひ伝えたい2つのこと2014/04/17 20:49

16日、東京で全日本スキー連盟のソチオリンピックメダリスト祝賀会が行われた。来賓の森喜朗元首相の祝辞があった。森元首相とソチ五輪といえば、発言の全容は知らないが浅田真央選手に関するコメントがとりざたされたこともあり、スピーチでずっこけないか、どんな話をされるのかと、少しいらない心配をしながら聞いていた。◆祝辞は「2つのことを言わなければならない」という宣言から始まった。その1つめは「葛西君、おめでとう!」。個人で銀、団体で銅を獲得したソチのメダルの祝福ではなかった。「『おまえしかいない!』と言われたそうじゃないか」とレジェンド結婚への祝いの言葉だった。そして、「ぜひ言わねばならない」もう1つのこと。それは、所属チーム、所属クラブの話だった。◆全日本スキー連盟の登録競技者でメダルを獲得したのはスキージャンプの葛西紀明、伊東大貴、竹内択、清水礼留飛、ノルディック複合の渡部暁斗、フリースタイルスキーHPの小野塚彩那、スノーボードHPの平野歩夢、平岡卓、SBアルペンの竹内智香の7選手。森元総理は「土屋ホーム」「北野建設」「雪印メグミルク」「バートン」「広島ガス」「フッド」「石打丸山スキークラブ」と各選手の所属会社、所属クラブを紹介。選手を支えるのは大変なこと。所属チームにはお礼を申し上げたいと挨拶を続けた。◆オリンピック競技は4年に1度「異様なほど」盛り上がるが、それ以外はメディアの露出や、投じたエネルギーや成果に対する、うまい言い方がみつからないが「見返り」「対価」は少ない。その中でも冬季競技は「冷遇」されているのが現状だ。目立たぬとも支えたスポーツを支えるチームへの敬意とそれがメダルに繋がったことへのお祝いでもあった。◆◆【追記】2020年東京オリンピック開催、成功に向け、日本全体のムード、ムーブメントは高まっている。メディアもそう!。反応はこれまでよりも良いはず!だから少しでも多くの方に、スポーツ支援者になってもらいたい。と私は願っております!

ヒーローたちの名勝負2014/03/19 02:43

NHKで土曜の夜に放送している同名の番組。1月11日はスキージャンプの岡部孝信だった。放送の当時、「ああ」と贔屓の選手に突きつけられた現実を思い、ため息を飲み込んだのを思いだす。放送日の4日前、1月7日。ソチ五輪のジャンプ代表が発表された。その中に岡部の名はなかった。年末年始のジャンプ週間に招集された岡部。いわば五輪メンバー採用試験、そのラストチャンスだった伝統の大会で代表選出の条件を満たすことができなかった。◆シーズンインの段階で岡部の五輪代表入りは厳しい状況だった。それでもサマージャンプでFISのポイントをとり、国内スタートとなった開幕戦で優勝してみせた。滑り込みで、「逆転代表入りへ」、少ないかもしれないが「チャンスはある」と不屈の精神で挑んでいた。そんな岡部の代表入りを祈るような気持ちで声援を送る人は多かった。もしかしたらこの番組の制作者も岡部の代表入りを願って、取材し、代表発表の日の近くでの放送を考えていたのだろうか・・・と。◆金メダルを引き寄せたあのジャンプ。原田を救い、日本を救った。大スランプの中から大一番でみせた「逆転の大ジャンプ」。長野後も不利なルール変更にも挫けず復活してみせ、エースとして2006トリノに臨み、更に当時のW杯世界最年長優勝を含むシーズン10勝を上げた2008/2009季。そして日本選手団主将を勤めた2010バンクーバーと年齢を重ねても進化を続けた。腰痛などとも戦いながら、ソチも代表争いに食い込んでみせた。岡部が、そして岡部のジャンプ人生そのものが、私にとってはヒーローであり、まさに名勝負の連続だった。◆我がスキージャンプヒーロー、岡部孝信選手のラスト飛行は3月22日、札幌・大倉山で行われる伊藤杯シーズンファイナル。「コーチの話を受けたあとも変わらずトレーニングを続けている。22日も優勝を目指す」と話した岡部孝信。その勇士をまぶたに焼き付けよう。

ジャンプ岡部と齋藤(長野前)2014/03/15 01:01

岡部孝信が引退を表明した。引退会見の席にチームの監督として同席した齋藤浩哉。同年齢の2人の少年団時代からのライバル関係はよく知られている。岡部は下川、斉藤は余市。全中は斉藤が、高校総体は岡部が制した。▼社会人ははじめ別々のチームだった。年下の東輝や葛西紀明らが話題を呼んでいたが若きジャンプ群像の注目を集める存在だった。2人の切磋琢磨は続いた。▼社会人初優勝は岡部が91年、先に達成(UHB杯)。今で言えばコンチネンタルカップにあたる環太平洋カップなど海外遠征にも選ばれるが「海外W杯」デビューは斉藤の方が先だった。初優勝はしたものの岡部はケガに泣いた。▼ヒザのじん帯を痛め早く引退することとなる斉藤だが、岡部もまたケガとも戦うジャンプ人生だった。93年、プチ復活。海外W杯デビューは斉藤に先を越された岡部だったが、この年、初の世界選手権代表となる。翌94年がリレハンメル五輪。岡部、斉藤揃って代表になる。▼ともに代表入りした94リレハンメルだったが、斉藤は出場機会なし。岡部はあの「二番」のハチマキをすることとなる団体で銀メダルを獲得(西方、岡部、葛西、原田)。個人でもラージ日本勢過去最高タイの4位となった。▼リレハンメルの翌年。カナダのサンダーベイ世界選手権。リレハンメルの影響かリーダー格の原田は極端な不振。24歳の岡部と斉藤がダブルエースの形だった。五輪では出番のなかった斉藤だったが団体銅メダルに貢献。個人では銀メダル(N)に輝く。ただこのときの金は岡部だった。▼サンダーベイで金メダルを獲得した1995年、岡部が所属していたたくぎんの廃部が決まる。桜井仁、及川貴生は東洋実業へ、そして、岡部は斉藤のいる雪印所属となる。1996年、子どもの頃からのライバルは同じチームで高め合うことになる。▼岡部、斉藤が国際舞台へデビューしその存在を示しはじめた頃の日本ジャンプチームには豊富なタレントが揃っていた。V字スタイルへの移行、冬季五輪自国開催決定。そうした中で若い才能が競い合い世界最強チームへと、日の出<ライジングサン>の勢いだった。▼91世界選手権1回目1位の東和弘。双子の弟の昭広。92五輪ラージヒル過去最高の4位に入り93年には笠谷幸生以来の世界チャンピオンとなる原田雅彦。葛西紀明が19歳でW杯初優勝。スキー王国小樽出身須田健仁。五輪代表は逃したが竹内元康。竹内卓哉。W杯含む大倉山5連勝の東輝。西方仁也、葦本祐二、安崎直幹、桜井仁、野呂田義一らがしのぎを削る。▼96/97シーズン斉藤はW杯開幕から14戦連続でベスト10以内。プレ五輪を兼ねた白馬大会で連続ベスト10以内は途切れるが直後、2月2日ドイツのビリンゲンでW杯優勝を果たす。岡部もこの年、W杯シーズン2勝、通算3勝目をあげる。しかし、翌五輪季に思わぬ不振が待っていた。

今こそ将来への戦略を②2014/02/24 00:01

ソチでの日本チームの活躍には「奇跡」や「幸運」と感じるところが大きい。もちろん、棚ぼたで栄光はありえない、奇跡や幸運は、アスリートの「不屈の魂」が呼び込んだもの。その奇跡に心打たれたし、日本を救った。ただ、日本選手団は「狙った」競技・種目では「負けた!」気がしてならない。好結果を出したものはチームジャパンが戦略的につかみ取ったものではなかったような、メダルプロジェクトは成功していなかったように思う。◆メディアを含め世論、国民はどれほど冬のスポーツ、アスリートを支えてきのだろうか。「何だよ、こんな時だけ!」「もっと勉強しろよ!」と批判を受ける場面も多い。◆個人的には、①仕分け後の五輪②冬のスポーツを育んできた地域が被災した後の最初の冬季五輪③2020年五輪ホスト国決定後の五輪という3つの視点から注目していた。◆バンクーバー五輪のシーズンでもあった2009/2010。「仕分け」が話題になった。文科省が管轄するスポーツ予算は大幅に見直された。バンクーバーは従来の予算で実施されたが、翌2010/2011から強化費は大きく削られた。◆ジャンプでいえば、ワールドカップへのステップとなるコンチネンタルカップへの派遣を取りやめた。ワールドカップ遠征も航空運賃と物価の安い海外での滞在費を勘案して、出国したら何ヶ月もヨーロッパに滞在。コーチは同行せず欧州滞在のコーチが現地で合流するなど経費を切り詰めた。◆バンクーバー後、強化体制が大きく変わったカーリングも、小笠原らの復帰、その小笠原たちが熱意を注いで実現したカーリングホールの完成など、いわば「私立」で強化環境がつくられた。話題の選手、人気選手は自力で独自スポンサーを獲得していくような形もできつつあったが、その規模や支持基盤は十分といえるものではなかった。◆今回の五輪、スポーツを、郷土を思う「心」に支えられてきた。これからの4年、そして、2020年のホスト国として、スポーツ先進国に成長することが求められる。

今こそ将来への戦略を①2014/02/23 23:20

ソチ五輪が閉幕する。日本は自国開催の長野を除き過去最高の8つのメダルを獲得した。被災地に育った羽生結弦の金。41歳の葛西紀明らの活躍でジャンプが16年ぶり、ノルディック複合が20年ぶりにメダルを獲得。スキーは新種目のフリースタイル・ハーフパイプでもメダルをとった。際立つのはスノーボードがハーフパイプとアルペンで合わせて3つのメダルを獲得した点だ。かつて「問題児扱い」、一部に「白眼視」された歴史を持つスノーボードに日本選手団は救われた。◆メダルには届かなかったが、ジャンプ女子は世界をリードする存在であったし、女子モーグル、カーリング、スピードスケートも表彰台に迫った。未勝利に終わったといえアイスホッケーの女子も開催国枠で出場した98長野とは格段に違い、自力出場を果たしたことそのものに価値があるし、世界と互角に戦えるところまでレベルアップしている。◆更にエース、メダル候補と言われた選手を襲ったアクシデントもあった。モーグルの伊藤みき、アルペンスキーの湯浅直樹はケガ。複合の渡部暁斗、ジャンプの竹内択は病に見舞われた。竹内択は本来の彼の実力からすれば物足りないものだったし、モーグルの伊藤みきはスタートラインに立てず無念はいかばかりか。◆一方で、大会1月前にインフルエンザにかかったと聞いたときは絶望的な予想をした渡部がワールドカップでの表彰台を経てノーマルヒルでメダルを獲得したのは驚きだった。葛西の腰、伊東の膝など、サポートチームの存在が活躍を支えた要因だったのだろう。スノーボードの竹内智香も一度は日本を飛び出した積んだ経験が、日本チームとの自分の心の中での和解で成果を上げた。◆とはいえ「冬のスポーツ」に対するサポート体制には不安を禁じ得ない。(続く)

ソチへ 心つないで2013/12/27 01:58

スキージャンプ高梨沙羅、カーリング小笠原歩&船山弓枝、そしてアイスホッケースマイルジャパンを題材にした番組を12月28日(土)午前9時55分から北海道内で放送する。◆ほぼ、制作作業は終了し事前視聴をした。じんわりと目頭が熱くなる番組になっている。

五輪リハーサル2013/10/14 02:33

先日、スキージャンプの雪印メグミルクに所属する選手たちの話を聞く機会があった。トリノ、バンクーバーと2度の五輪を経験してきた伊東大貴選手は「緊張しないタイプなのだが、オリンピックでは緊張したというか、雰囲気にのまれてしまった」と振り返った。◆オリンピックのジャンプといえば日本のジャンプ選手としてはその代名詞的な存在でもあったのが原田雅彦さん。やはりオリンピックは違うと話す。レベルの高い大会は、ワールドカップや世界選手権でも経験できるが、そうした大会はジャンプ、あるいはスキーの選手だけ。オリンピックは選手村にいけば、競技、種目の違う選手がいる、町中に五輪マークや大会ロゴがあり、まったく違う雰囲気になる。◆その話を紹介したところ、競泳の田中雅美さん(シドニー五輪メドレーリレー銅メダル)は「3度目はきっと違うはず、今度は幸せを感じてその舞台に立てる、そうしたら自ずと良い結果が生まれる」と話した。◆オリンピックのリハーサルをしておくのは本当に難しい。選手の導線も周りにいる人も、取材や試合の流れもいつもと勝手が違う。特別対応はないし、雰囲気から変わってくる。自分を律して、最高のパフォーマンスを発揮する準備をしておかなければならないが、相当難しい。◆オリンピックで印象に残るのは柔道、恵本裕子の「よくオリンピックには魔物がいると聞いていたが私には神様がいた」というもの。◆3ヶ月半後に迫ったソチ五輪、多くアスリートに、魔物ではなく、神と出会ってもらいたいが、果たして・・・。

飛型点2013/09/23 22:42

ソチ五輪開幕まで4ヶ月あまり、ウインタースポーツ観戦の仕方を知っていると面白さが倍増する。◆スキージャンプの順位は点数で決まる。今、選手の点数を構成する要素は4つ。飛距離を点数に換算。飛型(ジャンプの美しさ)の採点。そして、風の要素と助走距離によって点数を増減するコンディションの変化を勘案して数年前に導入されたウインドファクター、ゲートファクターと言われるものだ。◆飛型点は空中の姿勢、迫力、そして着地姿勢などが採点される、飛型審判員は5人(3人に減らすことが検討されている)で、最高点、最低点をカットした3人の点数が採用される。一人の審判の持ち点は20点。満点は採用3人の合計で60点となる。着地で足をとられた転倒の場合、審判一人あたり10点前後の減点になるので、転倒しなかった場合と比べて30点ほど点数が少なくなる。◆一方、飛距離点はK点を60点として飛距離によって増減される。増減の単位はジャンプ台の大きさによって変わってくるが、大倉山などラージヒルは1メートル当たり1.8点。宮の森などノーマルヒルは1メートルあたり2.0点である。22日にサマーグランプリ(GP)が行われたカザフスタンのアルマトイのノーマルヒル(K=95)も1メートル当たり2.0点となっている。◆日本の高梨沙羅は2回目に着地で転倒したが、優勝した。得点の内容をみると、107.5mを飛んだ飛距離点は60点+(2.0×12.5)=85点。スタイルを採点される飛型点は着地失敗が大きく減点され30.5点(10.0+10.0+10.5)。従来の飛距離と飛型の合計点であれば2回目1本のジャンプでは115.5点を挙げている。115.5点は非常に興味深い点数である。K点ジャンプでテレマークを入れた場合の点数がだいたいこの115.5点なのだ。飛距離点60点+飛型点55.5(18.5×3)。◆この時の助走の長さ=ゲートの高さは他の選手と同じなのでゲートファクターは増減なし。但し、ジャンプに有利な向かい風が吹いていて、ウインドファクターでは13.2点の減点があった。従って2回目のポイントは102.3点だった。高梨の2回目のジャンプの結果に大きく影響したのは「風」だったと言える。◆ゲートファクターは咋シーズンまではチームの判断でゲートを下げた場合でも加算されたが、今シーズンは競技委員が競技進行の判断で変更した場合のみと変更になった。◆点数を得る作戦として、ゲートを下げることはなくなったが、不利になっても選手側がゲートを下げることは可能だ。意図したバッシングとは限らないが、飛び過ぎるゲート設定が群を抜く選手のジャンプを狂わすケースもあり、その点は警戒しなければならない。◆ゲートを下げることが出来ても下げないケースは大きく2つある。1つはそのまま飛んだだほうが不利にならないからというもの。もうひとつは勝負師の意地。怯んだ、引いた、という姿勢を見せず立ち向かう場合だ。彼がここから飛んだのなら我も飛んでみせる!といったところか。転倒しても10メートルも余計に飛べば飛型点の減点分を埋め合わせられる。HSを大きく越えれば、一足ランディングになっても立てたらもうけものだ。

幻のバッケンレコード2013/08/04 16:04

バッケンレコードとはジャンプ台の最長不倒記録。「不倒」だから、遠くに飛ぶだけではなく転倒せずに着地しなければならない。札幌大倉山のバッケンレコードは2012年に伊東大貴が記録した146メートル、女子の記録は2011年に高梨沙羅が飛んだ141メートル。夏の記録となると141メートルの葛西紀明。そして夏の女子は葛西賀子の131メートルである。◆4日、札幌市長杯大倉山サマージャンプで大ジャンプが飛び出した。飛んだのは高梨沙羅。距離は141メートル。自身の持つ冬の女子バッケンレコード、葛西紀明の夏のバッケンレコードに並ぶものだった。「マキシマム(踏切直後に空中姿勢が完了する空中の最高地点とされるところ)で、いつもと違うところだったので、どこまで行くのだろかと思った。空中は異次元のところだった。」と、もやもやを吹き飛ばすジャンプとなった。◆場内放送は、一旦、「バッケンレコード!」とアナウンスしたが、すぐさま訂正した。飛型点は10.0から12.0。「不倒」ではなく、ジャッヂはルール上の転倒と判定した。うーん、惜しい!「幻」のバッケンレコードだった。落下の重力を受けしゃがみ込むような姿勢となった高梨は両手をついていた。◆課題にしている飛型点では大減点だが、ここまでのジャンプをしてみせたのだから「もう、飛型はいいでしょう!」という気持ちになる。ジャンプの神髄!全てを吹き飛ばす「爽快!」「豪快!」「気持ちのいい」「楽しいジャンプ」だった。カンテ(踏切地点)の近くにいたコーチ陣は「ヤバい!」と思ったとか・・・。◆1998年のサマージャンプで原田雅彦は転倒しながら優勝した。この日の少年組優勝の小林陵侑も転倒しても勝った。去年、清水礼留飛は141.5mを飛びながらヘッドスライディングのように転倒した。原田さんは、テレマークが入らないと、とやかく指摘されていた現役当時、「その分飛べばいい」と考えるようにしたという。2.5ポイントの減点かける3人のジャッヂ、合わせて7.5点離されたとする。飛距離のポイントは、大倉山の場合、1メートルで1.8点。ならば、4メートル50余計に飛べばその差は埋まる。◆原田さんは大倉山のバッケンレコードを4度更新、初めて140の大台に乗せたのも原田さんだった。大倉だけではない、白馬、クオピオ、フィラハ、アイアンマウンテン、ラハチなど世界のジャンプ競技場でバッケンレコードを塗り替えてきた。ミスタースキージャンプであり、ミスターバッケンレーコードなのだ。