陸上トレーニング方法2017/10/07 23:13

陸上を見るのがとても好きなのですが、昔は少し走っていました。なんの実績もないのですが、今から40年ほど前に、800メートル2分突破、1500メートル4分0台、5千メートル15分20秒切り、1万メートル33分台、フルマラソン完走(2時間50分台)くらいでした。中距離型で、女子なら今でも日本トップクラスでしょうか?■中学の時は秋冬に駆り出される長距離継走の急造の駅伝部、高校時代に入った陸上部は短距離、フィールドでインターハイ出場はちょくちょく出たのですが、長距離は学年に1人、もしかしたら隔年に1か2人という部員数で、隣の市の強豪チームの練習に参加させてもらうことが多かったように思います。そんな素人同然の選手でしたが大学はバリバリの体育会に縁あってお世話になりました。■40年もたって思い出してみると、結構、理にかなった練習をしていたのだなと、当時の練習メニューの先進性に感心します(というか今も昔もあまり変わっていないのかもしれません…)。■当時といえば、瀬古さん登場の少し前、中距離では石井隆士さんが1500メートルの日本記録を樹立された少しあとの頃でした。練習方法を参考にするには陸マガや月刊陸上の記事を読んだり、書店のスポーツ指導書を見たりというものでした。書籍は高橋進さんや帖佐寛章さんのものが多かったように記憶しています。リディアードの本などもありました。挿入されていた写真は沢木啓祐さんやケニアのケイノさん、クラレの小山隆治さんがあったように思います。■前置きが長くなりましたが、初めて陸上の練習に参加したのは中1の秋、それぞれの部活動や日々の体育指導などで中1なりの基礎体力はそれなりについていましたが、体験当初はかなりキツかったように思います。練習の柱は「走る習慣をつける」と「レースペースの習得」でした。基本は毎日放課後に「タイムトライアル」+毎朝の「レペテーション」と「インターバル」の中間間的なトレーニングでした。■当時、私の地域の中学生の長距離継走は、学年別だったり、1年生を加えることを条件にした学校対抗だったりと大会ごとに規定がありましたが、一人2千メートルを6人なり、8人でリレーするというものでした。今のように3千メートルを走れる選手を養成するといった距離別の対策は必要ありませんでした。学年関係なく選手になるには6分切り、1年生は6分30秒というのが目安でした。■最初、朝練に参加するとまず、全員でジョグして体を温めます。それが終わるとグランウドは1周200メートルの小さなトラックでしたが、1周36秒の設定ペースで走り始めます。参加したての中1の私は200メートルを36秒で走ること自体初めての経験で、ほとんどダッシュだったのですが、2000メートル6分目標ならば200メートルは36秒で走れなければ話にならないのです。■距離は1本目が1周(200m)。2本目が2周(400m)、3本目が3周(600m)。4本目が4周(800m)。5本目が5周(1000m)。1周36秒ペースでいけるところまで行ってみようぜ!という発想だったように思います。■3班くらいに分けていたとかと思います。(繋ぎは何秒だったが覚えていませんが、)ラストは全員一緒に行ったように思います(Aチームはレストなし…)。朝練の走行距離はレースペースの部分だけでもレース距離を超えました。■ただ1年生や選手ごとの力量によって、40秒や38秒の班分けもやっていたようにも思います。1年生は200メートルを40秒で走って2000m7分切る感覚を覚えていきました。■そして放課後のタイムトライアルは、まずみんなで3、4キロロードワーク(サイクリングだったかもしれない)。幸いなことに地元の試合会場が校区内の人口湖だったたので毎日、そこまでジョッグで行きます。ジョグといってもかなり軽快なペースでした(自転車の場合でもジムでエアロバイクでアップするような効果でしょうか)。現地に着くとTTのスタート時刻を告げられ、体操と各自アップ、着替え、トイレ。TTは全学年一緒だったり、1年生から20秒間隔のタイム差スタートだったりしたように思います。1年生は6分30秒を切れば、上級生にぬかれず真っ先にゴールするチャンスもありました。ただ、当時も5分40くらいで2キロを走る上級生もいたので、なかなかトップでゴールするというのは容易ではありませんでした。■TT終了後は100から150メートルの流し、といっても、タイムを測ります。リラックスしながらもどのくらいのスピードで走っているか、ラストを意識した同タイムでもラスト競り負けない感覚を養います。そして、また校舎までの3、4キロほどの道のりをクールダウンを兼ねて走って帰ります。■たまにレストとして山歩きや球技などが入りますがほぼ連日のタイムトライアルが続き、市内大会に出場する選手も自ずと浮かび上がってきます。■寄せ集めの駅伝部も1ヶ月ほどすると、受験期や冬休みもあり、各学年10人いたメンバーも8人、6人と絞られていきます。特に受験を控えた3年生はレギュラー確実な選手以外、勉強に専念するようになります。その頃になると、7分切りがやっとだった1年生も6分半は計算でき、数人は6分切りも狙える選手に成長していきました。大会も学年別から1校1チームになっていき、12月下旬の県大会を目指しました。■今はその時期に全国中学駅伝がありますが、当時は県大会が年末、そこで3年生は最後の大会で、1月は1、2年生のみで活動、1月の新人戦で急造駅伝部は解散し、また、各部活にもどっていきました。▼今回は中学時代の思い出でした。高校時代の練習も機会があれば、思い出したら書いていくかもしれません…。

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