偉業!快挙!世界最強「ジャンプ週間完全V」2019/01/07 02:58

日本の22歳が世界が驚愕する快挙をやってのけた。スキーのワールドカップ(W杯)より数十年も長い歴史を誇る欧州ジャンプ週間(Four Hills Tournament)で総合優勝を果たした。それも4戦全勝だ。▶︎ドイツ・オーストリアの4つのジャンプ台を舞台として年末年始に渡って世界最高のジャンパーを決する伝統の4大会はジャンプファンの熱狂で包まれる。その主役となったのが岩手県出身、札幌在住の小林陵侑(土屋ホーム)だ。日本人では1997-98年の船木和喜(北海道余市町出身、長野五輪個人&団体金メダリスト、現FIT)に続く2人目のジャンプ週間総合優勝となったばかりか、なんと4つの大会すべて優勝という驚くべき偉業を達成した。これは2001-2002のスベン・ハンナバルト(ドイツ)、昨シーズンのカミラ・ストッフ(ポーランド)に次ぐ史上3人目の快挙だ。▶︎4勝の勝ち方が「半端ない」。小林は今シーズンW杯初優勝を果たしばかりだが、この伝統の大会前までに4勝をあげW杯年間No1でもある総合優勝(オーバーオール)争いの首位に立っていた。世界のジャンプ関係者、ファンが今季彗星のごとく登場した極東の青年に関心の眼差しを注ぐ。総合首位の証し、イエロービブ(ゴールドゼッケン)をつけて臨む、伝統の大会。気後れし、力を出し切れずに終わることだってあったろうに、第1戦のオーベルストドルフ(2018.12.30)は1回目に138.5mのヒルサイズ(HS)越えのジャンプで首位に。2本目は伸びず薄氷の勝利ながら地元、ドイツのマルクス・アイゼンビヒラー、オーストリアのステファン・クラフトを従えて表彰台の真ん中に立った。▶︎新年1月1日のガルミシュパルテンキルへンでも1回目に首位。初戦との違いは2回目。飛距離こそ伸びていないように見えるがジャンプに不利な追い風を受けても、向かい風をもらった選手と遜色ない距離を飛び2連勝。▶︎圧巻だったのが第3戦のインスブルック。このジャンプ台のHSは130mだが、1回目に136.5メートルとHSを6メートル50も超えてしまう。その時点で2位と10ポイント以上の差をつける。そして、2回目は他の選手より1〜3段低いゲートから出て飛距離でも上回ってしまう。ゲートファクターも加わり、2位に25点以上もの差をつける圧勝。ジャンプ週間の総合優勝争いでもこの試合だけで2位の選手に40点を超える大差をつけてしまった。▶︎そして、迎えた6日の第4戦。ビショフスホーフェン。前日行われる予定だった予選が当日昼間へと変更になるハードなスケジュール。4連勝の期待が高まる異様な雰囲気、大偉業を前に尋常ではいられないであろうジャンプ週間最終選。夕方5時に始まった試合は風の影響か、最後に飛ぶ陵侑の前で、シグナルが青にならない。長い時間待たされた。静かに舞う粉雪が走路の積もる。助走スピードも若干出ていなかった。1回目は4位。陵侑がこの日までに上げたワールドカップ7つの勝利はすべて1回目トップから逃げ切ったものだった。クラフト、アイゼンビヒラーが陵侑より上位で折り返した。ジャンプ週間での総合優勝は素晴らしいが、負けて終わるのと、4戦全勝とでは大きな違いがあるだろう。だからそこ、今、世界で一番強いジャンパーの証明となる。2回目に王者の真価が問われる。そのジャンプは圧巻だった。追い風だった。最長不倒ではなかったが、それでも2回目最長の137.5メートル。飛型点も19.0と19.5が並ぶ。1本のジャンプだけで146ポイントのハイスコアを叩き出した。陵侑のあとから飛ぶ3人にもはや陵侑を凌駕する力などなかった。▶︎こうして小林陵侑KOBAYASHI,Ryoyuは船木和喜以来の日本人ジャンプ週間優勝を、史上3人目の完全優勝で飾ったのだった。▶︎ちなみにW杯総合優勝(年間優勝)争いでは現在956ポイント。2位ピオトル・ジオ(ポーランド)、3位カミラ・ストッフ(同)らに427点以上の差をつけている。個人戦は残り17試合。4位と優勝が9試合以上続くなど理論的にはまだまだ確定はしていないが、現実的には総合優勝はビッグチャンスである。今月下旬の札幌大会あたりで「当確」が点る可能性が大きい。

歴史的快挙へ2019/01/05 01:16

小林陵侑 KOBAYASHI,Ryoyu (土屋ホーム、岩手県出身)が4日のスキージャンプW杯インスブルック大会も優勝して、今シーズン通算とも7勝目をあげた。インスブルックのヒルサイズ(HS)は130メートル。小林は1回目、このHSをはるかに越える136.5mを飛んで首位にたった。同じゲートで始まった2回目は21人が飛び終えたところで飛距離がでないこともあって一旦ゲートが上がった。普通、1回目でヒルサイズを6メートルも超えるジャンプが出たらゲートは下がるものだが、同じゲートでスタートしたばかりか、途中で2段も上がったのだ。小林陵侑にとっては殺人的設定だ。しかも飛びすぎる要素でもある向かい風が吹いている。ゲートが上がって3人目のカミラ・ストッフ(ポーランド、五輪金メダリスト)が131メートルとヒルサイズ越えをしてみせると、ジュリー(審判団)は再びゲートを下げる、それでも1本目で7メートルもの差をつけたクラフトが130.5m。インスブルックのブレーキングトラックはすり鉢状に受けている。どのジャンプ台もヒルサイズまでは安全に着地できるとされているが、その先まで飛んでしまうと、着地は難しくなる。インスブルックは尚更だ。宮平秀治ら日本コーチ陣はゲートを下げる判断をした。W杯、世界選手権、オリンピックなどで導入されているゲートファークター。助走スピードが落ちる低いゲートからスタートすると加点される制度だが、ジュリーの判断でなくコーチリクエストの場合、加点はされない(※注&訂正1)。助走スピードが落ち、飛距離が伸びなくなる。ゲートナンバーはO(ゼロ)。それでも「今、世界で最高のジャンパー」と評されるまでになった陵侑は、見事に2回目最長タイの131メートルを飛んでみせる。ストッフよりも3段も下のゲートからだ。若干のばらつき、乱れはあったが、着地でテレマーク姿勢も入れる。ジャンプ週間3連勝は明らかだった。◆小林はこれでW杯4連勝、今シーズン10試合で7勝、3位2回、7位1回と圧倒的な成績で総合優勝争いでもまたリードを広げた。日本選手のW杯シーズン最多勝利は葛西紀明の6勝だが、陵侑は師匠の持つ記録をシーズン3分の1の段階で塗り替えてしまった。日本人選手のW杯通算最多勝利は同じく葛西紀明の持つ17勝(2019年1月4日現在)だが、この記録にも追いつきさそうな勢いだ。◆まさに快進撃とはこのことだ。スキー界においてはジャンプ週間(Four Hills Tournament)は特別な大会。ワールドカップ制度が生まれるずっと前からジャンパーたちはこのドイツ、オーストリアの4つのジャンプ台で誰が一番強いか競いあってきた。日本選手では1972年に笠谷幸生が3連勝(4戦目は不参加)。1998年に船木和喜が3連勝、4戦全勝は逃したが日本勢ただ1度の総合優勝を果たした。今回、小林陵侑は日本の伝説的ジャンパー、笠谷、船木に続いて3人目の3連勝を達成した。そして、4戦全勝のジャンプ週間総合優勝の期待が高まっている。ジャンプ週間4戦全勝は66年の歴史のなかで、ハンナバルト、ストッフの2人しか成し得ていない。◆ジャンプ週間最終戦は1月6日、ビショフスホーヘンで行われる。【訂正2019.01.08】訂正1)コーチリクエストでもHSの95%、インスブルックの場合は123.5mより飛べばゲートを下げた加点があり、この日4.3ポイントの加点があった。

衝撃の幕開け2019/01/02 01:31

スキージャンプのメジャー大会、ドイツ・オーストリア伝統のジャンプ週間(4 Hills Tournament)の第2戦(ドイツ・ガルミッシュパルテンキルヘン、兼W杯個人第10戦)で小林陵侑が優勝、年末のオーベルストドルフ大会に続いてジャンプ週間2連勝した。■日本選手がジャンプ週間で優勝したのは、笠谷幸生、葛西紀明、船木和喜の3人しかいなかった。小林は4人目の日本人ウイナー。1998年の船木以来、日本勢2人目の総合優勝の期待もかかる。■それにしても小林陵侑の快進撃は驚異的だ。今シーズン開幕戦で3位、2戦目でワールドカップ初優勝を果たすとここまでW杯9戦6勝3位2回7位1回。異次元の成績を刻みながらワールドカップ総合優勝争いのトップ独走中だ。■チームメートの伊藤有希は「ジャンプのことをあまりよくわからない(専門的、技術論などのことか)自分でも、他の選手と明らかに違うのがわかる、他のだれもできない、陵侑オリジナルのジャンプをしている」とその快進撃の要因を語る。「腰の進むスピードが速い」と。■チームの監督でもある葛西紀明も「呆れ」気味。「初優勝のときは嬉しくて涙が出そうになったが、勝利を重ねると『勝ちすぎじゃないか』と喜べなくなった」と冗談交じりに話す。■ジャンプ週間はこのあと舞台をオーストリアに移し4日がインスブルック、6日がビショフスホーヘン。世界のジャンプ界に新たな伝説が生まれる予感がする。

スーパー高校生2015/03/22 03:15

現役最後の試合を終え、吉岡和也は「最後の試合だったので緊張する部分もあった」とちょっぴり悔しそうだった。それでも自身のジャンプ人生はと問われ「言うことない、最高のジャンプ人生だった」ときっぱりと答える。そして、一番の思い出は?の質問に、初めは「若かった頃、みんなで回ったワールドカップ、葛西監督(葛西紀明)と同じ部屋になり印象に残っている、当時、原田さん、岡部さん、斎藤さん、船木さん、宮平さん・・・強い人がたくさんいて、その中で揉まれてきて、それが一番の思い出」とスーパー高校生などと言われ、最年少五輪代表に選ばれた10代の頃のことを話したが、そのあとに言葉をつないだ。「・・・思い出というか、1番は『娘にこうして飛んでいる姿を見せられた』こと、思い出というか、それが1番良かった」と締めくくった。■若くして脚光を浴びた男が、苦しみもがく姿も少なからず見てきていたから苦しみの中での支えやモチベーションとなったものを聞こうと思っていたのだが、その必要はなくなった。■吉岡和也。小樽・北照高校1年でワールドカップ(W杯)初出場。初戦は44位だったが、ラージに変わった自身2戦目で18位に入る(ノーマルより、ラージヒルが得意だった)。高校3年の2月から海外遠征メンバーに入り社会人1年目の19歳で、長野オリンピックの代表に選ばれた。長野での出場機会はなかったが、翌シーズンのW杯で5度のシングル、団体では優勝も経験する。ソルトレークシティ五輪前年、プレオリンピックを兼ね五輪と同じ会場で行われたW杯で個人3位、団体優勝と表彰台に立った。この年は世界選手権にも出場、五輪での活躍に期待が膨らんだ。ところが2002年、表彰台にたった同じジャンプ台に吉岡が行くことはなかった。■景気、ジャンプ界の低迷のあおりなどか所属チームの廃部、クラブの解散なども経験した。■2011年アジア大会金メダル。■引退後は所属の土屋ホームに残り社業に専念する。「これからは営業マンとして頑張る、ご用命よろしくお願いします!」

細山周作2015/03/21 17:41

後志出身のジャンプ選手が少なくなります。斎藤前監督に憧れ、頂点目指していましたが、本日がラスト!

吉岡和也2015/03/20 22:17

地元開催とはいえ、初めてワールドカップに出場した選手が、K点を越えてくるような大ジャンプを見せれば。誰だって肝を抜かれる。吉岡はそんな度肝を抜く高校生だった。彼も明日21日の伊藤杯がラストフライト。あまり書けない。さみしすぎる。ぜひ、大倉山へ。

カンタ2015/03/20 22:07

有名スポーツ選手が猿のぬいぐるみをカバンにいれて遠征にも持ち歩いていた。そのぬいぐるみの名は「カンタ」・・・そんな話を思い出した。■2006年、原田雅彦さんが引退した数日後、上川町でトークショー、講演形式のおつかれ様の式典が行われた。原田さんは現役引退のワケ、長野五輪の裏話などを楽しそうに話し、ふるさとの人たちを笑わせた。■質問コーナーになって、男の子がマイクを持って立つ。「一番思い出に残る大会は?」。間髪入れず原田さんは「長野オリンピックでしょ」と答える。あまりの即答に、司会者が、他にも聞きたいことがあったら聞いてごらんと追加質問を促す。男の子は「スランプのときどうしますか」と聞く。原田さんは「今、どう?調子は悪い?上向いてる?」と聞き返すと男の子は「上がっているように思う」と答える。原田さん、「そうですよ、そうそう、スランプなんてナイ、ポジティブに思っていればいいです」と答える。■上川の男の子は高梨寛大君だった。この春で明治大学を卒業、ユニバミックス団体でのメダルを手土産にカンタも現役に別れを告げる。卒業おめでとう!

サラバ!別れの季節2015/03/20 21:26

スキージャンプのシーズンファイナル大倉山ナイターが明日、21日に行われる。今シーズン限りで現役を退く選手のさよならジャンプも行われる。■ノルディック複合でソルトレーク、トリノ、バンクーバーと3度のオリンピックに出場。ワールドカップ2勝の高橋大斗(土屋ホーム)も今季限りで引退する。W杯2度の優勝を含む6度の個人表彰台。萩原健司の後継者として日本コンバインドチームをけん引した。■印象深いのは2010バンクーバー五輪。前年、日本は世界選手権の複合団体で金メダルに輝く。エースの大斗は控えに回った。92年のアルベールビル五輪で萩原、河野、三ケ田の3選手で金メダルに輝いたとき、エースの阿部が悔しさを味わい94リレハンメルで見事に金メダルを獲得してみせた不屈の物語を重ね合わせる人がいた。■結果から言うとバンクーバーで複合チームはメダルを逃した。それでも個人戦には出番のなかった高橋が、起用された団体戦でみせた大ジャンプはウィスラーの人たちをうならせた。家族の声援は熱く、温かかった。■高橋の持ち味はジャンプ。スペシャルジャンプの選手を相手に表彰台の中央に立つことも度々、あった。2005年、金子佑介がバッケンレコードを出しながら優勝できなかったときも、その横で一番高いところに立っていたのは高橋大斗だった。■2007年、札幌世界選手権。雨が降り、霧が立ち込め、どんよりとした空気の中で高橋大斗のビンディングが外れた。空中に飛び出すやいなや回転しながらランディングバーンに肩から落ちた。見ていた私は息をのみ、胸がつぶれそうだった。復活への道のりの険しかったろう。不調の中で荒井山の子ども用のジャンプ台を飛び続けることもあった。■昨シーズン、純ジャンプ1本に転向した、皆が舌を巻くようなジャンプを誰もがまっていたが、まだ大斗らしいジャンプは見られていない。ラスト大倉山、どんなフライトを見せてくれるのだろか。

極(まっくす)2015/03/08 08:10

きわみと書いてマックスと読む。東海大四高3年のスキージャンプ選手の古賀極のこと。UHB杯の大ジャンプでネット上などでもざわつきが起きた。漢字が「極」、読みは「マックス」、ローマ字(英語)表記は「MAX」。お父さんは日本人でお母さんはカナダ出身なのだ。■東海大四高はレジェンド葛西の出身高校だが、岡村創太を最後にジャンプは20年近く休部状態だった。東海大四、久々のジャンプ選手がMAXの兄、古賀翔大。そして今季3年には中村直幹ら日本ジャンプ界期待の選手が活躍している(卒業式は終わったが)。■2008年に放送した「バッケンレコードを越えて」のエンディングに、荒井山でジャンプをする子供たちの様子が映しだされる。そこに佐藤幸椰(現・雪印メグミルク1年目)やMAXが映っている。■新しい世代が出てきている。6日の宮様ノーマルではMAXと同学年の小林陵侑(盛岡中央高)が学生、社会を抑えて優勝した。国内戦は本日の宮様ラージ、そして3月21日の伊藤杯ナイターと残り少ない。マックスは東海大に進学しジャンプを続けるとのこと。ジャンプ界、がんばりマックス!

沙羅、有希、そして優梨菜2015/03/07 13:37

3月6日、札幌・宮のジャンプ競技場。宮様国際スキー大会のジャンプ女子は伊藤有希(土屋ホーム)がK点ジャンプを揃え快勝した。風が不安定、パッカーさんが雪踏みをしてくれたとはいえ、3月の雪、しばらくぶりの試合ということもあり、ランディングバーンは足元をとられやすい難しいコンディションだった。ユニバシアード男女団体金の小林諭果(早稲田大)、UHB杯など今季複数回優勝の茂野美咲(CHINTAI)らが足をとられ転倒した。(小林は転倒しながらその回3位だったが・・・)■高梨沙羅(クラレ)に元気がなかったのが少し、心配だったが、優勝が決まった直後に、上位3人が握手をかわすシーンがあった。日本の女子ジャンプの希望を象徴するものだった。伊藤、高梨、そして山田優梨菜。初めて女子ジャンプがオリンピックで行われた昨年のソチで日の丸をつけた3人だった。有希は優梨菜の肩を抱いて3位を祝福した。