母は強し!だけではないのだ!!2007/11/24 01:16

日本学生選抜の様子をリポートしたあと、イギリス、ロシア、アメリカを追い越しして2位、ケニアまで追い上げた。相手が「世界」のヌデレバだけに分が悪いかなと思っていた日本だったが、日本のアンカー赤羽有紀子は遥か前を行っていた。小さくなっていく日本の姿が霞んで見えたのは、少し涙腺が緩んでいたせいかもしれない。■競技場で待つ1歳の娘、優苗ちゃん。コーチで夫の周平さん。他の所属選手とは別の練習活動を認めているホクレンの支援体制。そして、ランナーとして結果で答えを出す赤羽。その凄さにウルっと来てしまった。■今回「ママさんランナー」という点がクローズアップされたが、もともと赤羽は五輪出場も期待された学生女子長距離界のホープだった。ユニバーシアードでは99年ハーフマラソン、2001年1万メートルでメダルを獲得、全日本学生女子駅伝では4年続けてエース区間で区間賞を獲得。学生は実業団に比べて一枚落ちると見られていた中、都道府県対抗の駅伝などで実業団選手を押さえる激走をしばしば見せていた。ホクレン上層部が「どうせやるなら世界を目指せ」と、それまでの地元北海道出身選手を中心とした活動から「五輪代表」の可能性のある選手の獲得に踏み出した第1号でもあった。しかし、たぐいまれな能力は諸刃の刃。股関節や膝、足の裏・・・多くのケガに苦しんだ。■2004年のアテネ五輪は選考争いに食い込むこともなく終わった。その年度末をもって、赤羽は結婚を機に、引退するつもりだった。しかし、チームは結婚しても続けてみてはどうかとチャンスを用意した。苦しんできたケガの克服もあり、記録が伸びた。天才の復活。地元日本で世界選手権が開催される「夫婦で目指そう」となった。ところが、妊娠していることがわかる。今生めば「大阪に間に合う」。2006年、赤羽は母となる。世界選手権は代表に手の届くところまで行きながら、その舞台に立てなかった。ジャパンのユニフォームを着て、ヌデレバを引き離してゆく赤羽の後ろ姿に、アスリートが花開くときと、その巡り合わせ、戦ってきた歳月・・・そんなことを考えた国際千葉駅伝だった。■【国際千葉駅伝】優勝:日本(上野、福士、野口、絹川、竹澤、赤羽)