決定!東京五輪マラソンコース2019/12/22 15:23

札幌で行われる東京五輪のマラソンコースが12月19日公表された。大通公園外周2周を含む前半大ループを1周したあと、この大ループの北側約10キロの周回コースを2周するものだ。◇スタートは大通公園の西4丁目付近。まず西に向かい西10丁目までの公園外周を凡そ2周し駅前通を南い向かう。北海道マラソンのスタートから8キロ地点と同様、ススキノ、幌平橋、南平岸、南7条大橋を走り、創成川通を北24条まで北上する。北海道マラソンでは創成トンネルを通り、北8条で進路を西に変えて札幌駅北口を通るが、オリンピックではトンネルに入らず地上を走り、創成川通を2011年までコースだった北24条まで北上を続ける。その後、北24条宮の森通りを西に向かい新川上の橋のところで左折。札幌工業高校の北側を左折して、北海道大学の構内に入る。北海道マラソンでは選手と車両の進入路が違うがオリンピックではどうなるのか、細かいルートは今後調整されるだろう。北大のメインストリートを通り、南門から道庁に向かう。これは北海道マラソン終盤と同じルート。北海道大学の南門あたりが、中間点21.0975kmとなる見込み。北海道マラソンでは道庁北門から赤レンガ庁舎の前を通り南門に抜けていたが、五輪では北門から入り、池のほとりを通って、東門へ抜ける。ここが約22キロ。そのまま赤レンガプラザを通って右折して札幌駅前通に入り南に向かう。赤プラ〜駅前通の大通まではオリンピックオリジナルのルートとなった。大通を左折(コース図によると南・大通)、札幌テレビ塔の下を左折、1周目に通った創成川通りに合流する。ここから1周目の後半のルートを繰り返す。約10キロのループを2周する。◇会見で森泰夫運営局次長の説明にもあったが、非常に考えられたコースが設定された。大会まで8ヶ月を切って急に決まった移転。対応しうる最良のものなのではないだろうか。驚きさえ感じる。

東京五輪マラソン札幌会場10キロ地点まで2019/12/08 01:33

◇スタート◇大通公園〜ススキノ◇札幌駅前通りを南へ向かう。両サイドは百貨店、複合商業ビル、ススキノ歓楽街の雑居ビルなどが続く。午前7時のスタートなら、国道36号を横切るススキノ交差点など辻々で一瞬、日差しを受けるが、大方、日陰を走る。中島公園に突き当たりクランクカープ。ここでも一瞬、日差しを受けるが、右折すると右にパークホテル、中島公園、左に豊平河川沿いのマンション群と日陰が続く。◇幌平橋◇約2.5km橋の手前で登り。渡って下る。アクセントになる。豊平川、貯木池などにつかわれていた中島公園、そして創成川などは札幌の歴史、開拓に欠かせない街を形作る重要なポイント。初代幌平橋は豊平村と中島公園を結ぶため民間の手で架けられたのだという。幌平橋を渡り豊平エリアに入っていくのは札幌で行うマラソンにおいては物語性を含んでいる。中の島通り商業ビル、科学大高校など建物が連なり、午前中であれば影の中を走ることになるだろう。◇唯一の登りらしい登り◇北海道科学大高校をすぎると約4キロ。ここで左折する。進行方向は東になるので正面から日差しを受けることになる。ここから約700メートル登り坂が続く。北海道マラソンのコースの中では唯一と言っていい「上り坂」。とはいえ各駅伝などで立体交差のコースなどを経験していれば大した坂ではない。次も左折なので経済コースを通りたいところだが、上りの得手、不得手などで走りのリズムがバラつきがあるのか、集団の外に出て、詰まらないようなポジションどりをする選手もいる。ドラマのロケ地にもなった「HTB旧社屋」が正面に見える◇5キロ地点◇坂を上り左折するとすぐに5キロ。平岸通。中央分離帯にリンゴの並木が続く。日差しを遮るほどではないが、この道も南北に伸びているので午前中の日差しはビルに遮られるだろう。平岸通は5キロ手前から約2.5キロ走るが、緩やかに下っている。夏場は風も追っているだろうからリラックスして気持ちよく走れてしまうだろう。◇2周目以降がどうなるかわからないが、同じルートで平岸通がコースなら2周目25キロ27キロあたりとなり、上り坂からこの緩やかな下りで大きく変化がおきるのではないか。ただし、2周目は通らない可能性がある。◇豊陵公園◇平岸通りは三叉路に突き当たる。正面は「豊陵公園」。右折、左折とカーブが続きアクセントになる。何周もここを通るのであれば豊陵公園にクレーンカメラなどを設置しても面白いと思う。逆に機材を入れずに一般の観客が公園に陣取って声援を送るというのも面白いかも。◇南7条大橋◇アップダウン少ないコースだが橋の前後では少しだけ上り、下りがある。豊陵公園の連続カーブをすぎると坂を上り豊平川をわたる。南7条大橋だ。背後から日差しを受ける。正面に札幌中心部のビル群を望む。テレビ塔なども見える。8キロ付近。◇北海道マラソンではこの付近のアクセントが個人的には良いなと思っていて、五輪はループで繰り返し走るのであればレース展開が動き出す要素も含んでいて、豊平川を挟んだエリアを使うのは面白いのだがと思っているが、2周目以降は約7キロとなると、通らないのかな、としたら残念だな・・・。◇創成川◇南7条大橋を渡ると少し降る。北海道マラソンでは創成トンネルに入る。これは札幌を東西に伸びる道路を止めない効果もある。オリンピンックでは地上をコースにしてはどうだろうか。観客は公園化されて創成川の辺りで日差しを避けながら選手を待つことができる。対向車線側だが二条市場(個別の商店の看板をどうするか?)とマラソン選手たちの絡みもあっていい。嘗て大友堀ともいわれ、札幌開拓に欠かせない創成川に沿って北上するとテレビ塔などをすぎてJR高架。この辺りが10キロ地点となる。勝手に考えた10キロ4周コースなら、北3条などで札幌駅前通りへというのも思い描いたのだが・・・。起承転結。物語を4部構成で想定するなら、10キロ地点はまだ序章。北海道コース紹介第1章はまずはここまで。◾️◾️◾️<追記・補足>12.19に決まった五輪コースはスタート後大通公園外周を約2周するパートが加わりました。前述のコース紹介に公園周回分の3.5km〜3.9km程が加わります。

マラソンの組み立て2019/12/02 15:30

野球で完投を目指す先発ピッチャーが3イニングずつを一つの単位として投球を組み立てるという話を聞いたことがある。また、ゴルフでスコアをまとめるのに3ホールごとに流れを作っていくといったことも。で、マラソンはどうだろう。◇2分割:前半後半、ハーフマラソン2本◇30キロ+12.195キロ◇35キロ+7.195キロ◇10キロ×4本+2.195キロ◇25キロ+17.195キロ(または16マイル+10.4マイル)◇5キロウォーミングアップ+30キロ走+5キロ+2.195キロ・・・1500(トラック3周+3/4)を走るときに。300+400+400+400の組み立てなのか、400+400+400+300なのかでレースが微妙に違う(スタートからの組み立てか、ゴールからの逆算かなどでも)。1000+500(うちラスト400、ラスト300、ラスト200、ラスト150など細分化)。100+惰性+ラスト1000〜ラスト2周〜残り600〜ラスト1周〜ラスト300〜ラスト200〜ラスト150〜直線〜必死。いろいろあるだろうけれど◇10代の頃、師事した先生は4分の3理論をよく口にしていた。練習やっていれば試合で4分の3地点まではやれる。勝敗の別れ目はそこからだと。100mでいえば75メートル。800m走ならラスト200。1500mならラスト1周。5千ならラスト3周。その理論で言えばマラソンは32キロ。◇ペースメーカーの存在で30キロ+12キロの傾向は強まっているのか。30キロ走った上で、12.195キロを33分30秒で走る力が求められているのかもしれない。▷7キロ6周のループコースなら35キロ+7キロという展開もあるのか。7.195キロを20分切るなどという光景が見られるかも。

衝撃の幕開け2019/01/02 01:31

スキージャンプのメジャー大会、ドイツ・オーストリア伝統のジャンプ週間(4 Hills Tournament)の第2戦(ドイツ・ガルミッシュパルテンキルヘン、兼W杯個人第10戦)で小林陵侑が優勝、年末のオーベルストドルフ大会に続いてジャンプ週間2連勝した。■日本選手がジャンプ週間で優勝したのは、笠谷幸生、葛西紀明、船木和喜の3人しかいなかった。小林は4人目の日本人ウイナー。1998年の船木以来、日本勢2人目の総合優勝の期待もかかる。■それにしても小林陵侑の快進撃は驚異的だ。今シーズン開幕戦で3位、2戦目でワールドカップ初優勝を果たすとここまでW杯9戦6勝3位2回7位1回。異次元の成績を刻みながらワールドカップ総合優勝争いのトップ独走中だ。■チームメートの伊藤有希は「ジャンプのことをあまりよくわからない(専門的、技術論などのことか)自分でも、他の選手と明らかに違うのがわかる、他のだれもできない、陵侑オリジナルのジャンプをしている」とその快進撃の要因を語る。「腰の進むスピードが速い」と。■チームの監督でもある葛西紀明も「呆れ」気味。「初優勝のときは嬉しくて涙が出そうになったが、勝利を重ねると『勝ちすぎじゃないか』と喜べなくなった」と冗談交じりに話す。■ジャンプ週間はこのあと舞台をオーストリアに移し4日がインスブルック、6日がビショフスホーヘン。世界のジャンプ界に新たな伝説が生まれる予感がする。

控えめJAPAN2016/07/29 02:05

リオ五輪に出場する男子マラソンの日本代表3人が釧路で合宿を行っている。27日には会見を開き現況や大会に向けた取材に応じた。■ナショナルチームにニックネームをつけるケースがある。スマイル・ジャンパン、クリスタル・ジャパン、侍ジャパン、さくらセブンズ、なでしこ、龍神、火の鳥、はやぶさ・・・などさまざま。■マラソン男子代表に、勝手に名前をつければ「控えめジャパン」という印象。派手さがない。サンライズレッドのウェアにも遠慮がち。■ただ、これって悪くないと思う。銀河軍団のような派手でギラギラしているのって、この競技ではもろく崩れることの方が多い。マラソンは地味、地道、ヒタヒタ、ネバって、静かに静かに頑張りつづけつことが凄く大事。■この「控えめ」「目立たない」「オーラに欠ける(←全然悪いことじゃな)」代表に密かな期待を抱いている。マラソンって目立たないのって凄くいいことなのだと思うのだ。

劇的サンデー2014/10/19 17:29

ベストアマ、ローアマのプレーオフの話題をすることはなかったな、と反省。昨夜のブログ。

ヒーローたちの名勝負2014/03/19 02:43

NHKで土曜の夜に放送している同名の番組。1月11日はスキージャンプの岡部孝信だった。放送の当時、「ああ」と贔屓の選手に突きつけられた現実を思い、ため息を飲み込んだのを思いだす。放送日の4日前、1月7日。ソチ五輪のジャンプ代表が発表された。その中に岡部の名はなかった。年末年始のジャンプ週間に招集された岡部。いわば五輪メンバー採用試験、そのラストチャンスだった伝統の大会で代表選出の条件を満たすことができなかった。◆シーズンインの段階で岡部の五輪代表入りは厳しい状況だった。それでもサマージャンプでFISのポイントをとり、国内スタートとなった開幕戦で優勝してみせた。滑り込みで、「逆転代表入りへ」、少ないかもしれないが「チャンスはある」と不屈の精神で挑んでいた。そんな岡部の代表入りを祈るような気持ちで声援を送る人は多かった。もしかしたらこの番組の制作者も岡部の代表入りを願って、取材し、代表発表の日の近くでの放送を考えていたのだろうか・・・と。◆金メダルを引き寄せたあのジャンプ。原田を救い、日本を救った。大スランプの中から大一番でみせた「逆転の大ジャンプ」。長野後も不利なルール変更にも挫けず復活してみせ、エースとして2006トリノに臨み、更に当時のW杯世界最年長優勝を含むシーズン10勝を上げた2008/2009季。そして日本選手団主将を勤めた2010バンクーバーと年齢を重ねても進化を続けた。腰痛などとも戦いながら、ソチも代表争いに食い込んでみせた。岡部が、そして岡部のジャンプ人生そのものが、私にとってはヒーローであり、まさに名勝負の連続だった。◆我がスキージャンプヒーロー、岡部孝信選手のラスト飛行は3月22日、札幌・大倉山で行われる伊藤杯シーズンファイナル。「コーチの話を受けたあとも変わらずトレーニングを続けている。22日も優勝を目指す」と話した岡部孝信。その勇士をまぶたに焼き付けよう。

今こそ将来への戦略を②2014/02/24 00:01

ソチでの日本チームの活躍には「奇跡」や「幸運」と感じるところが大きい。もちろん、棚ぼたで栄光はありえない、奇跡や幸運は、アスリートの「不屈の魂」が呼び込んだもの。その奇跡に心打たれたし、日本を救った。ただ、日本選手団は「狙った」競技・種目では「負けた!」気がしてならない。好結果を出したものはチームジャパンが戦略的につかみ取ったものではなかったような、メダルプロジェクトは成功していなかったように思う。◆メディアを含め世論、国民はどれほど冬のスポーツ、アスリートを支えてきのだろうか。「何だよ、こんな時だけ!」「もっと勉強しろよ!」と批判を受ける場面も多い。◆個人的には、①仕分け後の五輪②冬のスポーツを育んできた地域が被災した後の最初の冬季五輪③2020年五輪ホスト国決定後の五輪という3つの視点から注目していた。◆バンクーバー五輪のシーズンでもあった2009/2010。「仕分け」が話題になった。文科省が管轄するスポーツ予算は大幅に見直された。バンクーバーは従来の予算で実施されたが、翌2010/2011から強化費は大きく削られた。◆ジャンプでいえば、ワールドカップへのステップとなるコンチネンタルカップへの派遣を取りやめた。ワールドカップ遠征も航空運賃と物価の安い海外での滞在費を勘案して、出国したら何ヶ月もヨーロッパに滞在。コーチは同行せず欧州滞在のコーチが現地で合流するなど経費を切り詰めた。◆バンクーバー後、強化体制が大きく変わったカーリングも、小笠原らの復帰、その小笠原たちが熱意を注いで実現したカーリングホールの完成など、いわば「私立」で強化環境がつくられた。話題の選手、人気選手は自力で独自スポンサーを獲得していくような形もできつつあったが、その規模や支持基盤は十分といえるものではなかった。◆今回の五輪、スポーツを、郷土を思う「心」に支えられてきた。これからの4年、そして、2020年のホスト国として、スポーツ先進国に成長することが求められる。

今こそ将来への戦略を①2014/02/23 23:20

ソチ五輪が閉幕する。日本は自国開催の長野を除き過去最高の8つのメダルを獲得した。被災地に育った羽生結弦の金。41歳の葛西紀明らの活躍でジャンプが16年ぶり、ノルディック複合が20年ぶりにメダルを獲得。スキーは新種目のフリースタイル・ハーフパイプでもメダルをとった。際立つのはスノーボードがハーフパイプとアルペンで合わせて3つのメダルを獲得した点だ。かつて「問題児扱い」、一部に「白眼視」された歴史を持つスノーボードに日本選手団は救われた。◆メダルには届かなかったが、ジャンプ女子は世界をリードする存在であったし、女子モーグル、カーリング、スピードスケートも表彰台に迫った。未勝利に終わったといえアイスホッケーの女子も開催国枠で出場した98長野とは格段に違い、自力出場を果たしたことそのものに価値があるし、世界と互角に戦えるところまでレベルアップしている。◆更にエース、メダル候補と言われた選手を襲ったアクシデントもあった。モーグルの伊藤みき、アルペンスキーの湯浅直樹はケガ。複合の渡部暁斗、ジャンプの竹内択は病に見舞われた。竹内択は本来の彼の実力からすれば物足りないものだったし、モーグルの伊藤みきはスタートラインに立てず無念はいかばかりか。◆一方で、大会1月前にインフルエンザにかかったと聞いたときは絶望的な予想をした渡部がワールドカップでの表彰台を経てノーマルヒルでメダルを獲得したのは驚きだった。葛西の腰、伊東の膝など、サポートチームの存在が活躍を支えた要因だったのだろう。スノーボードの竹内智香も一度は日本を飛び出した積んだ経験が、日本チームとの自分の心の中での和解で成果を上げた。◆とはいえ「冬のスポーツ」に対するサポート体制には不安を禁じ得ない。(続く)

大人な五輪代表2014/01/22 02:25

ソチ五輪日本代表選手団の結団式、壮行会が20日、東京で行われた。主将が41歳、葛西紀明(スキージャンプ)、副主将が田畑真紀(スピードスケート)、そして旗手が小笠原歩(カーリング)。レジェンド、ベテラン、カーママ。年齢だけではなく、オトナな印象。◆バンクーバー五輪の特徴は、長野以降の世代の活躍。高木美帆に象徴されるように長野五輪以降に競技を始めた選手たちが選手団の中心になり、若返った印象が強かった。今回もジャンプ女子の高梨、伊藤、山田の3代表全て10代。スノーボードHPの平野が15歳、平岡が18歳。アイスホッケーFW浮田17歳、フィギュアの羽生、村上らも10代とバンクーバー以上に次の世代が台頭してきてはいるが、それ以上に「お姉様方」の逆襲。ベテランの気迫が頼もしい。年齢は関係ない。若い選手たちも、かなりしっかりしている。オトナの発言が多い。そして、同時に、年齢は重ねても少年、少女の気持ちを失っていない!こればまた素晴らしい。◆橋本団長から、挨拶をいきなり振られた小笠原のコメントもしっかりしていた。アドリブ、ムチャぶりに「強さ」を発揮した。カーリングは1試合2時間半程度。10チームが出場する五輪は9試合以上戦う。日本代表スキップが「テレビに一番長く映る」のは間違いないだろう。喜怒哀楽が顔に出る。それがファンに愛される理由のひとつ。何度も涙を見せてきた。うれし涙、感動の涙、悲しい涙、悔し涙・・・。困ったり、怒ったり、呆れたり・・・。ポーカーフェイスが良いと言われるカーリングだが、小笠原の表情は豊かだ。◆結団式、壮行会の表情はすがすがしかった。(小野寺も楽しそうにしていたなぁ)雰囲気がとてもよい。これはコンディションが良い現れだと思う。ソチが楽しみだな。