2010年スタート2010/01/01 04:07

去年の話。年末の五輪代表選考会でときの人となったスピードスケートの高木美帆選手(札内中3年)が31日、五輪代表決定後、地元に帰ってきた。とかち帯広空港には大勢の出迎えがあった。■中学生と思えない落ち着いた対応だった。五輪への抱負をきかれ「結果を気にすると自分を見失う、悔いを残さぬようできることをキチンとやる、最善を尽くす」というようなことを話していた。大人たち(取材陣)が騒いでも動じない様子だった。■帰宅したら何をしたいかとの問いには「まずは寝たい」と激闘と周囲が激変した3日間の疲れを癒したいという本音を素直に口にした。■ときの利。一躍ヒロインに祭り上げられた格好だが、スケート技術にも裏付けられ、トレーニングも積んできた。肝も座っているようだ。勢いもある。女性アスリートは劇的に記録を伸ばす時期がある。周囲の喧噪もエネルギーに代え、おもしろがってくれそうな雰囲気さえある。コンディションを整え、恐れることなく全力で向かっていければ、本当のミラクルを起こしてくれるだろう。

2010年、本年もよろしく!2010/01/04 23:24

きょうの日を迎えられること。新しい年を迎えられること。その幸せをかみしめて1日1日を大切にしていこう。無沙汰をしている方々、今年もよろしくお願いします。

箱根駅伝2010/01/04 23:27

競走部の後輩から箱根駅伝懇親会の司会をやってくれないかと連絡があった。「今年は優勝祝賀会になります。こんなチャンスはありません」と口説かれた。札幌からはとても行けない、交通費も年末年始で割引がなくこの不況下に懐事情も苦しい。それに今年は3日にジャンプの大会があり、岡部孝信選手の様子を取材しなければならない。体調も優れなかった。10月以降、心身ともに走り通しでこの辺りで少し休まないとまずいな、という気もしていた。悪いが札幌から応援しているよと断った。■正月2日午前7時半すぎ、私は東京大手町に立っていた。JRや京浜急行を乗り継ぎ、箱根町まで。全区間、沿道に立った。見たのは人垣とその間からチラリと見える若きランナー。一瞬しか見えなかったが、紫紺のユニフォームに白く「M」のマークをつけた現役の競走部の後輩たちは輝き踊っていた。その日は箱根に泊まり、3日は旅館のテレビでスタートを見ると箱根湯本のぽん太さんの前を始め、二宮、藤澤、横浜、蒲田、日本橋で声援を送った。最後もハラハラどきどきしたが2年連続のシードを獲得した。■私が入学したころ箱根駅伝に我が明治大学が自力で復帰するなど信じがたいことだった。記念大会に歴代優勝校は出場できるらしいから恥をかかないように少し頑張ろうやくらいだったか。予選会を経験して、出場できたときも、できなかったときも・・・。卒業後も後輩たちの姿を毎年楽しみにみていたが、出場を、シードをと願ってはみたものの、とてつもなく難しいもののようだった。■飛行機代も箱根宿も大きな出費だったが、価値あるものだった。とても贅沢な時間を過ごすことができた。

バッケンレコード2010/01/12 03:31

11日、葛西紀明選手が大倉山で145メートルをマークした。スゴい記録だ。それでもまだ、世界の頂点へは課題もあるのだという。見ているところは五輪出場回数とか、代表内定とか、そんなものではない。■世界を知る岡部孝信選手にとってもそれは同じだ。代表を巡る取材に対して苛立ちさえみせるのは、その見つめる先と繰り返される問答が噛み合ないからなのではないだろうか。五輪に出るのが目標ではない。世界の奴らをやっつけるには手負いの身でどう戦うのか。決戦の場に間に合うのか。正直、不安とも戦っているはずなのだ。■「今まで通り、やるべきことをやるだけ、間に合うのか、やりたいことをやれるのか、自信はない、しかしやるしかない」。報道陣に対してイラっとした岡部選手だったが、決して理由なく無愛想なわけではないのだ。14歳、中学2年の佐藤幸椰との対戦後には「絶対に負けられない、スゴいプレッシャーだった」とインタビューに答え会場を笑わせた。■ジャンプの怖さも、面白さも、楽しさも知っている39歳。残り1月。本気モードに入っているのだ、きっと。今のままでは、まだダメだ、やることがありすぎると必死なのかもしれない。それだけ厳格に自己の力を計っているからこそ、世界で闘い続けることができるのだろう。

いざ!バンクーバーへ2010/01/27 00:49

バンクーバー五輪に向け海外の合宿へ、事前の大会へ、選手たちが出発していきます。壮行会などの催しも開かれています。盛り上がって参りましょう!■画像は25日新千歳を発ったノルディック複合の五輪代表の高橋大斗選手と小林範仁選手