箱根駅伝2010/01/04 23:27

競走部の後輩から箱根駅伝懇親会の司会をやってくれないかと連絡があった。「今年は優勝祝賀会になります。こんなチャンスはありません」と口説かれた。札幌からはとても行けない、交通費も年末年始で割引がなくこの不況下に懐事情も苦しい。それに今年は3日にジャンプの大会があり、岡部孝信選手の様子を取材しなければならない。体調も優れなかった。10月以降、心身ともに走り通しでこの辺りで少し休まないとまずいな、という気もしていた。悪いが札幌から応援しているよと断った。■正月2日午前7時半すぎ、私は東京大手町に立っていた。JRや京浜急行を乗り継ぎ、箱根町まで。全区間、沿道に立った。見たのは人垣とその間からチラリと見える若きランナー。一瞬しか見えなかったが、紫紺のユニフォームに白く「M」のマークをつけた現役の競走部の後輩たちは輝き踊っていた。その日は箱根に泊まり、3日は旅館のテレビでスタートを見ると箱根湯本のぽん太さんの前を始め、二宮、藤澤、横浜、蒲田、日本橋で声援を送った。最後もハラハラどきどきしたが2年連続のシードを獲得した。■私が入学したころ箱根駅伝に我が明治大学が自力で復帰するなど信じがたいことだった。記念大会に歴代優勝校は出場できるらしいから恥をかかないように少し頑張ろうやくらいだったか。予選会を経験して、出場できたときも、できなかったときも・・・。卒業後も後輩たちの姿を毎年楽しみにみていたが、出場を、シードをと願ってはみたものの、とてつもなく難しいもののようだった。■飛行機代も箱根宿も大きな出費だったが、価値あるものだった。とても贅沢な時間を過ごすことができた。

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