スーパー高校生2015/03/22 03:15

現役最後の試合を終え、吉岡和也は「最後の試合だったので緊張する部分もあった」とちょっぴり悔しそうだった。それでも自身のジャンプ人生はと問われ「言うことない、最高のジャンプ人生だった」ときっぱりと答える。そして、一番の思い出は?の質問に、初めは「若かった頃、みんなで回ったワールドカップ、葛西監督(葛西紀明)と同じ部屋になり印象に残っている、当時、原田さん、岡部さん、斎藤さん、船木さん、宮平さん・・・強い人がたくさんいて、その中で揉まれてきて、それが一番の思い出」とスーパー高校生などと言われ、最年少五輪代表に選ばれた10代の頃のことを話したが、そのあとに言葉をつないだ。「・・・思い出というか、1番は『娘にこうして飛んでいる姿を見せられた』こと、思い出というか、それが1番良かった」と締めくくった。■若くして脚光を浴びた男が、苦しみもがく姿も少なからず見てきていたから苦しみの中での支えやモチベーションとなったものを聞こうと思っていたのだが、その必要はなくなった。■吉岡和也。小樽・北照高校1年でワールドカップ(W杯)初出場。初戦は44位だったが、ラージに変わった自身2戦目で18位に入る(ノーマルより、ラージヒルが得意だった)。高校3年の2月から海外遠征メンバーに入り社会人1年目の19歳で、長野オリンピックの代表に選ばれた。長野での出場機会はなかったが、翌シーズンのW杯で5度のシングル、団体では優勝も経験する。ソルトレークシティ五輪前年、プレオリンピックを兼ね五輪と同じ会場で行われたW杯で個人3位、団体優勝と表彰台に立った。この年は世界選手権にも出場、五輪での活躍に期待が膨らんだ。ところが2002年、表彰台にたった同じジャンプ台に吉岡が行くことはなかった。■景気、ジャンプ界の低迷のあおりなどか所属チームの廃部、クラブの解散なども経験した。■2011年アジア大会金メダル。■引退後は所属の土屋ホームに残り社業に専念する。「これからは営業マンとして頑張る、ご用命よろしくお願いします!」

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