さて、何が逃げる?2014/08/24 02:35

人気馬が後方待機の脚質の場合、穴を開けるとしたら逃げ、先行馬。1992年有馬記念、トウカイテイオーが後方に待機し、どの馬も動けずにいた。彼の不調を察知しレガシーワールドが前を追いかけ始めたが時既に遅し、ゴール前でギリギリ迫ったがメジロパーマーの逃げ切りを許した。メジロパーマーは宝塚記念でも逃げ切っているように実力のある馬ではあったが、この時は15番人気。波乱となった。■メジロパーマーは思い出の馬の1頭でもある。有馬もダイタクヘリオスとの2騎で行く決して楽な逃げではなかったが、自らのスタイルを貫くしかなかった戦い方が功を奏した。メジロパーマーはG1、2勝馬となった。そのパーマー、初めての重賞が札幌記念だった。1991年6月。鞍上・松永幹夫。私が札幌で暮らし始めた最初の年の札幌記念だった。まだG3、札幌が芝になって2年目だった。■翌1992年の札幌記念を制したのが同年のオークス2着のサンエイサンキュー。ハープスターがもし札幌記念を勝てばこの時以来の3歳牝馬の札幌制覇となる(当時は4歳と数え歳で馬齢表記していた)。■さて、ハープスターは後方待機だろう。そして、ゴールドシップは?。これまでのレースでは宝塚のときのように好ポジションにつければほぼ勝利している。後方待機で差し、まくりでの勝利もあるが、落としたレースはこちらのパターンが多い。札幌の小回り馬場を意識して前の方にいくのか、フランス凱旋門賞を視野に待機策になるのか、騎手、陣営の思惑ではなく、ゴールドシップ、彼の気持ち次第だろうが・・・。■札幌競馬場の2000メートルは逃げ有利の印象がある。1800は割合、ゴール前でガラリと変わる差し,追い込みが見られるが、距離が伸びるのに前の馬があまりバテない。おそらくスタートから1コーナーまで直線が長く、最初のポジション争いで足を使ってしまうことがあまりないからだろう。■1コーナーまで落ちついて乗れる。これはゴールドシップにとっても好都合だ。外、となりのトウケイヘイローにすっと行かせ、好ポジションをキープするのだろうか。■トウケイヘイローの他に行く馬は・・・。まさかルルーシュ。アニメではないが福永鞍上で「反逆」を起こすか。内枠のトウカイパラダイス、タマモベストプレイ、ムーンリットレイクも脚質的には先行タイプだが、主導権を握れるかどうか、ならば1番枠のロゴタイプの方が前にいるかもしれない。■こう考えると、統計的にトウケイヘイローはかなりプラス材料なような・・・。とはいえ、「逃げ有利」という見解が主流になると得てして、結果は逆に流れることも。ならば、ラブイズブーシェ、エアソミュール、ホエールキャプチャ、そして、ハープスターと直線で横に広がる大接戦の可能性も・・・・。まあ、可能性はいろいろ。■やはりゴールドシップか・・・どの展開でも抜け出していそうだもの。

皇帝!その22010/10/30 01:33

天皇賞(秋)の季節である。印象に残るレース。皇帝と呼ばれたシンボリルドルフが敗れた1985年の天皇賞。勝ったのはギャロップダイナ。鞍上は根本康広騎手。ダートレースを主戦場に、夏には落馬しながら1番最初に入線する珍事の主役を演じるなど・・・も、伝統のレースで隠れていた芝適正を披露、一発大逆転の栄冠だったのだ。とはいえ後に海外遠征もし、安田記念で2つめのG1も勝ち、ラストランの有馬で2着するなどの実力馬なのだ。

中央競馬北海道シリーズ開幕2009/06/20 15:15

中央競馬の北海道シリーズが開幕しました。例年、函館と札幌でそれぞれ2開催、約4ヶ月に渡って行われますが、今年は改修のため函館競馬場での開催がないため1月少ない3ヶ月間。でも札幌エリアだけで考えると1月増えたともいえるのかな?若駒のデビューや夏の上り馬、秋に向けての調整、成長、始動など楽しみをいち早く間近で目撃できそうです。

徒歩22008/11/03 00:31

知人の結婚式で上京。式まで時間があったので、汐留のウインズで天皇賞の単勝を購入。神保町に行き映画を見た。古本フェアをやっていたので街を歩いた。神田まで歩きながら20数年前、本郷から池袋まで歩いたことを思い出した。■第138回天皇賞(秋)優勝:ウオッカ(武豊騎手)1分57秒2レコード、2着ダイワスカーレット、3着ディープスカイ

冠婚葬祭2007/11/14 02:31

非礼をしたことがあります。非礼のままでした。大変お世話になった人がいます。直接、お世話になったばかりか、その人の仕事ぶりに、多くのことを学びました。盗みたかったいくつもの「技」がありました。が、しかし、それはとても及ばぬ極めたものでした。お礼も言えず、尊敬の念も伝えられず、ずっと、長年、ご無沙汰をしていたばかりか、いつしか怠惰になっていく自身の後ろめたさに、さらに近寄りがたく・・・。その方の訃報に触れました。もう1月以上も経っていました。闘病はさらに前からだったそうです。40代の他界です。イナリワン、スーパークリーク、コスモドリーム・・・多くの名馬、名レースとともに、信じがたく、思い出が蘇ります。奥さんの手編みのセーターを着ていらっしゃいました。■悲しい報せは、本当に突然やってきます。ゴルフ中継に携わり始めた頃、偶然にも取材でお世話になる方が近所に住んでいたことを知ります。夏にはこどもたちをジンギスカンのガーデンパーティに呼んでもらったこともありました。突然の報せ、近所にいながら、お別れの会にも伺えず、少し落ち着いてから、ご挨拶にいけたら・・・と思っていはいるのですが・・・□□複雑な気持ちのまま、それでも、お祝い事もありました。それはまた別の機会に。