NORI伝説2014/11/30 15:00

「レジェンド」伝説の男と賞賛される葛西紀明がまた伝説を生んだ。2014年11月29日、フィンランドのルカで行われたスキージャンプのワールドカップ個人第3戦で優勝した。葛西のワールドカップ個人戦は出場453試合目。表彰台は前日の3位を含む52試合。優勝は17回目で日本男子最多。なにより自身の持つ世界最年長優勝記録を塗り替えた。■テレビ朝日系で放送されている番組「徹子の部屋」に葛西が出演し、今週放送されたが、その中で長野五輪当時の思いと、今の心境について語った場面が感慨深い。これは他の番組、報道などでも語られたことではあるが「長野の悔しさがあって今がある」というものだが、「とても恥ずかしいこと」と正直に長野五輪の当時、日本の金メダルを祝福できずにいたことを話した。■7度五輪に出場している葛西だが、金メダルをとった長野五輪では団体のメンバーから外れた。会場に行く気になれずホテルにこもっていたこと、長い中断もあって、途中で会場に向かったが日本を応援するどころか「メダルをとるな」「(距離を伸ばさず)落ちろ!」と負の念さえ送っていたのだと告白している。■エースと呼ばれ、すでにワールドカップ優勝を重ねていた葛西。難病の妹へ、金メダルをとってメダルを煎じて呑ませたいと臨んだリレハンメルは銀。地元開催、最愛の母を不運な事故で亡くして迎えた長野には抑えきれない思いが渦巻いていた。■当時の葛西を知る者は人を寄せつけない「気むづかしい」イメージを持っている人も多いはず。負けず嫌い、悔しさ、そうしたものが葛西の挑戦を支え、モチベーションになっているのは間違いないが、明るく、気さくな「NORIさん」に変貌したレジェンドは、悔しさだけでなく、さらに高い次元へと扉を開いたゆえなのだとろうと思わざるをえない。

劇的サンデー2014/10/19 17:29

ベストアマ、ローアマのプレーオフの話題をすることはなかったな、と反省。昨夜のブログ。

竹内択のことば2014/04/18 01:46

上村愛子の涙ポーズ、葛西紀明の個人派手なガッツポーズ一転団体の涙、メディアの前では気丈に振る舞った高梨沙羅、浅田真央のフリー、羽生結弦のパリ散、カーママ・・・印象深いシーンは数々あったソチ五輪。2ヶ月が経つが、私の中で印象的なことばを記しておきたい。それはジャンプ団体で銅メダルを獲得したあとの竹内択選手がミックスゾーンで話したことばのこと。◆日本語では「団体」と表記するが、英語では「Team」。竹内選手は「日本チーム」でとったメダルとコメントしたのだ。その中で、国内大会で切瑳琢磨した仲間たちがあってとれたものだと口にしたのだ。団体には出場機会のなかった渡瀬雄太を含む五輪代表だけではい。スキージャンプに携わる仲間たちのお陰で獲得できたと話していたのだ。

ぜひ伝えたい2つのこと2014/04/17 20:49

16日、東京で全日本スキー連盟のソチオリンピックメダリスト祝賀会が行われた。来賓の森喜朗元首相の祝辞があった。森元首相とソチ五輪といえば、発言の全容は知らないが浅田真央選手に関するコメントがとりざたされたこともあり、スピーチでずっこけないか、どんな話をされるのかと、少しいらない心配をしながら聞いていた。◆祝辞は「2つのことを言わなければならない」という宣言から始まった。その1つめは「葛西君、おめでとう!」。個人で銀、団体で銅を獲得したソチのメダルの祝福ではなかった。「『おまえしかいない!』と言われたそうじゃないか」とレジェンド結婚への祝いの言葉だった。そして、「ぜひ言わねばならない」もう1つのこと。それは、所属チーム、所属クラブの話だった。◆全日本スキー連盟の登録競技者でメダルを獲得したのはスキージャンプの葛西紀明、伊東大貴、竹内択、清水礼留飛、ノルディック複合の渡部暁斗、フリースタイルスキーHPの小野塚彩那、スノーボードHPの平野歩夢、平岡卓、SBアルペンの竹内智香の7選手。森元総理は「土屋ホーム」「北野建設」「雪印メグミルク」「バートン」「広島ガス」「フッド」「石打丸山スキークラブ」と各選手の所属会社、所属クラブを紹介。選手を支えるのは大変なこと。所属チームにはお礼を申し上げたいと挨拶を続けた。◆オリンピック競技は4年に1度「異様なほど」盛り上がるが、それ以外はメディアの露出や、投じたエネルギーや成果に対する、うまい言い方がみつからないが「見返り」「対価」は少ない。その中でも冬季競技は「冷遇」されているのが現状だ。目立たぬとも支えたスポーツを支えるチームへの敬意とそれがメダルに繋がったことへのお祝いでもあった。◆◆【追記】2020年東京オリンピック開催、成功に向け、日本全体のムード、ムーブメントは高まっている。メディアもそう!。反応はこれまでよりも良いはず!だから少しでも多くの方に、スポーツ支援者になってもらいたい。と私は願っております!

ヒーローたちの名勝負2014/03/19 02:43

NHKで土曜の夜に放送している同名の番組。1月11日はスキージャンプの岡部孝信だった。放送の当時、「ああ」と贔屓の選手に突きつけられた現実を思い、ため息を飲み込んだのを思いだす。放送日の4日前、1月7日。ソチ五輪のジャンプ代表が発表された。その中に岡部の名はなかった。年末年始のジャンプ週間に招集された岡部。いわば五輪メンバー採用試験、そのラストチャンスだった伝統の大会で代表選出の条件を満たすことができなかった。◆シーズンインの段階で岡部の五輪代表入りは厳しい状況だった。それでもサマージャンプでFISのポイントをとり、国内スタートとなった開幕戦で優勝してみせた。滑り込みで、「逆転代表入りへ」、少ないかもしれないが「チャンスはある」と不屈の精神で挑んでいた。そんな岡部の代表入りを祈るような気持ちで声援を送る人は多かった。もしかしたらこの番組の制作者も岡部の代表入りを願って、取材し、代表発表の日の近くでの放送を考えていたのだろうか・・・と。◆金メダルを引き寄せたあのジャンプ。原田を救い、日本を救った。大スランプの中から大一番でみせた「逆転の大ジャンプ」。長野後も不利なルール変更にも挫けず復活してみせ、エースとして2006トリノに臨み、更に当時のW杯世界最年長優勝を含むシーズン10勝を上げた2008/2009季。そして日本選手団主将を勤めた2010バンクーバーと年齢を重ねても進化を続けた。腰痛などとも戦いながら、ソチも代表争いに食い込んでみせた。岡部が、そして岡部のジャンプ人生そのものが、私にとってはヒーローであり、まさに名勝負の連続だった。◆我がスキージャンプヒーロー、岡部孝信選手のラスト飛行は3月22日、札幌・大倉山で行われる伊藤杯シーズンファイナル。「コーチの話を受けたあとも変わらずトレーニングを続けている。22日も優勝を目指す」と話した岡部孝信。その勇士をまぶたに焼き付けよう。

ジャンプ岡部と齋藤(長野前)2014/03/15 01:01

岡部孝信が引退を表明した。引退会見の席にチームの監督として同席した齋藤浩哉。同年齢の2人の少年団時代からのライバル関係はよく知られている。岡部は下川、斉藤は余市。全中は斉藤が、高校総体は岡部が制した。▼社会人ははじめ別々のチームだった。年下の東輝や葛西紀明らが話題を呼んでいたが若きジャンプ群像の注目を集める存在だった。2人の切磋琢磨は続いた。▼社会人初優勝は岡部が91年、先に達成(UHB杯)。今で言えばコンチネンタルカップにあたる環太平洋カップなど海外遠征にも選ばれるが「海外W杯」デビューは斉藤の方が先だった。初優勝はしたものの岡部はケガに泣いた。▼ヒザのじん帯を痛め早く引退することとなる斉藤だが、岡部もまたケガとも戦うジャンプ人生だった。93年、プチ復活。海外W杯デビューは斉藤に先を越された岡部だったが、この年、初の世界選手権代表となる。翌94年がリレハンメル五輪。岡部、斉藤揃って代表になる。▼ともに代表入りした94リレハンメルだったが、斉藤は出場機会なし。岡部はあの「二番」のハチマキをすることとなる団体で銀メダルを獲得(西方、岡部、葛西、原田)。個人でもラージ日本勢過去最高タイの4位となった。▼リレハンメルの翌年。カナダのサンダーベイ世界選手権。リレハンメルの影響かリーダー格の原田は極端な不振。24歳の岡部と斉藤がダブルエースの形だった。五輪では出番のなかった斉藤だったが団体銅メダルに貢献。個人では銀メダル(N)に輝く。ただこのときの金は岡部だった。▼サンダーベイで金メダルを獲得した1995年、岡部が所属していたたくぎんの廃部が決まる。桜井仁、及川貴生は東洋実業へ、そして、岡部は斉藤のいる雪印所属となる。1996年、子どもの頃からのライバルは同じチームで高め合うことになる。▼岡部、斉藤が国際舞台へデビューしその存在を示しはじめた頃の日本ジャンプチームには豊富なタレントが揃っていた。V字スタイルへの移行、冬季五輪自国開催決定。そうした中で若い才能が競い合い世界最強チームへと、日の出<ライジングサン>の勢いだった。▼91世界選手権1回目1位の東和弘。双子の弟の昭広。92五輪ラージヒル過去最高の4位に入り93年には笠谷幸生以来の世界チャンピオンとなる原田雅彦。葛西紀明が19歳でW杯初優勝。スキー王国小樽出身須田健仁。五輪代表は逃したが竹内元康。竹内卓哉。W杯含む大倉山5連勝の東輝。西方仁也、葦本祐二、安崎直幹、桜井仁、野呂田義一らがしのぎを削る。▼96/97シーズン斉藤はW杯開幕から14戦連続でベスト10以内。プレ五輪を兼ねた白馬大会で連続ベスト10以内は途切れるが直後、2月2日ドイツのビリンゲンでW杯優勝を果たす。岡部もこの年、W杯シーズン2勝、通算3勝目をあげる。しかし、翌五輪季に思わぬ不振が待っていた。

今こそ将来への戦略を②2014/02/24 00:01

ソチでの日本チームの活躍には「奇跡」や「幸運」と感じるところが大きい。もちろん、棚ぼたで栄光はありえない、奇跡や幸運は、アスリートの「不屈の魂」が呼び込んだもの。その奇跡に心打たれたし、日本を救った。ただ、日本選手団は「狙った」競技・種目では「負けた!」気がしてならない。好結果を出したものはチームジャパンが戦略的につかみ取ったものではなかったような、メダルプロジェクトは成功していなかったように思う。◆メディアを含め世論、国民はどれほど冬のスポーツ、アスリートを支えてきのだろうか。「何だよ、こんな時だけ!」「もっと勉強しろよ!」と批判を受ける場面も多い。◆個人的には、①仕分け後の五輪②冬のスポーツを育んできた地域が被災した後の最初の冬季五輪③2020年五輪ホスト国決定後の五輪という3つの視点から注目していた。◆バンクーバー五輪のシーズンでもあった2009/2010。「仕分け」が話題になった。文科省が管轄するスポーツ予算は大幅に見直された。バンクーバーは従来の予算で実施されたが、翌2010/2011から強化費は大きく削られた。◆ジャンプでいえば、ワールドカップへのステップとなるコンチネンタルカップへの派遣を取りやめた。ワールドカップ遠征も航空運賃と物価の安い海外での滞在費を勘案して、出国したら何ヶ月もヨーロッパに滞在。コーチは同行せず欧州滞在のコーチが現地で合流するなど経費を切り詰めた。◆バンクーバー後、強化体制が大きく変わったカーリングも、小笠原らの復帰、その小笠原たちが熱意を注いで実現したカーリングホールの完成など、いわば「私立」で強化環境がつくられた。話題の選手、人気選手は自力で独自スポンサーを獲得していくような形もできつつあったが、その規模や支持基盤は十分といえるものではなかった。◆今回の五輪、スポーツを、郷土を思う「心」に支えられてきた。これからの4年、そして、2020年のホスト国として、スポーツ先進国に成長することが求められる。

今こそ将来への戦略を①2014/02/23 23:20

ソチ五輪が閉幕する。日本は自国開催の長野を除き過去最高の8つのメダルを獲得した。被災地に育った羽生結弦の金。41歳の葛西紀明らの活躍でジャンプが16年ぶり、ノルディック複合が20年ぶりにメダルを獲得。スキーは新種目のフリースタイル・ハーフパイプでもメダルをとった。際立つのはスノーボードがハーフパイプとアルペンで合わせて3つのメダルを獲得した点だ。かつて「問題児扱い」、一部に「白眼視」された歴史を持つスノーボードに日本選手団は救われた。◆メダルには届かなかったが、ジャンプ女子は世界をリードする存在であったし、女子モーグル、カーリング、スピードスケートも表彰台に迫った。未勝利に終わったといえアイスホッケーの女子も開催国枠で出場した98長野とは格段に違い、自力出場を果たしたことそのものに価値があるし、世界と互角に戦えるところまでレベルアップしている。◆更にエース、メダル候補と言われた選手を襲ったアクシデントもあった。モーグルの伊藤みき、アルペンスキーの湯浅直樹はケガ。複合の渡部暁斗、ジャンプの竹内択は病に見舞われた。竹内択は本来の彼の実力からすれば物足りないものだったし、モーグルの伊藤みきはスタートラインに立てず無念はいかばかりか。◆一方で、大会1月前にインフルエンザにかかったと聞いたときは絶望的な予想をした渡部がワールドカップでの表彰台を経てノーマルヒルでメダルを獲得したのは驚きだった。葛西の腰、伊東の膝など、サポートチームの存在が活躍を支えた要因だったのだろう。スノーボードの竹内智香も一度は日本を飛び出した積んだ経験が、日本チームとの自分の心の中での和解で成果を上げた。◆とはいえ「冬のスポーツ」に対するサポート体制には不安を禁じ得ない。(続く)

大人な五輪代表2014/01/22 02:25

ソチ五輪日本代表選手団の結団式、壮行会が20日、東京で行われた。主将が41歳、葛西紀明(スキージャンプ)、副主将が田畑真紀(スピードスケート)、そして旗手が小笠原歩(カーリング)。レジェンド、ベテラン、カーママ。年齢だけではなく、オトナな印象。◆バンクーバー五輪の特徴は、長野以降の世代の活躍。高木美帆に象徴されるように長野五輪以降に競技を始めた選手たちが選手団の中心になり、若返った印象が強かった。今回もジャンプ女子の高梨、伊藤、山田の3代表全て10代。スノーボードHPの平野が15歳、平岡が18歳。アイスホッケーFW浮田17歳、フィギュアの羽生、村上らも10代とバンクーバー以上に次の世代が台頭してきてはいるが、それ以上に「お姉様方」の逆襲。ベテランの気迫が頼もしい。年齢は関係ない。若い選手たちも、かなりしっかりしている。オトナの発言が多い。そして、同時に、年齢は重ねても少年、少女の気持ちを失っていない!こればまた素晴らしい。◆橋本団長から、挨拶をいきなり振られた小笠原のコメントもしっかりしていた。アドリブ、ムチャぶりに「強さ」を発揮した。カーリングは1試合2時間半程度。10チームが出場する五輪は9試合以上戦う。日本代表スキップが「テレビに一番長く映る」のは間違いないだろう。喜怒哀楽が顔に出る。それがファンに愛される理由のひとつ。何度も涙を見せてきた。うれし涙、感動の涙、悲しい涙、悔し涙・・・。困ったり、怒ったり、呆れたり・・・。ポーカーフェイスが良いと言われるカーリングだが、小笠原の表情は豊かだ。◆結団式、壮行会の表情はすがすがしかった。(小野寺も楽しそうにしていたなぁ)雰囲気がとてもよい。これはコンディションが良い現れだと思う。ソチが楽しみだな。

何末年始のテレビ2014/01/04 00:15

正月、本州で新聞を見る。運動特集はソチ五輪とサッカーワールドカップのブラジル大会。元日の紙面はその1年の編集方針を鮮明に表すそうなのだが、冬季五輪はもっと「盛って」よいのではないかと思ってしまう。首都圏や五輪開催地「長野」を読者エリアに抱えている土地でさえ、やや寂しい。北海道とは文字通り「温度差」がある。◆年末の各表彰。年末年始のテレビ番組。スポーツ選手が「出席」「出演」しているものが多い。メディアへの露出はファン獲得の効果絶大。「馴染み」深くなればなるほど、浸透すればするほど、応援する側の力の入り方も変わってくる。だが他の「人気」スポーツと違い、ウインタースポーツはシーズン真っ只中。中々PRのチャンスとして生かすわけにもいかないのかな。◆オフでいえば、4月、5月・・・というあたりなのだが、なかなかこの時期はスポーツ選手のPRの機会は少ない。応援してもらえる、支援者増大計画を進めていくのも冬季競技には大切な課題なのかなと思うのであった。