北海道マラソン・男子を見て2010/08/31 02:58

ケニア選手の才能の豊かさ、潜在能力の高さを物語る逸話として、早稲田大学やヱスビー食品で監督を務めた中村清さん(故人)の言葉がある。「ケニア選手にマラソンを教えてはいけない」というもの。これは日本のマラソントレーニングの素晴らしさを示す言葉でもある。■赤道直下のアフリカ東海岸から極東の異国の地に「夢の実現」「サクセス」を求めやってきた青年たち。そのフロンティアは中村監督のチームに所属していたダグラス・ワキウリだった。87年の世界選手権で金メダルに輝き、88年のソウルオンピクで銀。その後、ロンドン、ニューヨークなど世界各地のマラソンで優勝した。オリンピックではコニカ(現コニカミノルタ)に所属してたエリック・ワイナイナがアトランタ銅、シドニーで銀と2つのメダルを獲得。そして、ケニアになかった金色のメダルをトヨタ九州に所属していたサムエル・ワンジルが北京で手にする。ボストン3連覇を果たしたコスマス・デティらも日本でマラソンを覚えた選手の一人だが、ケニア出身だからといって、それだけで誰もが簡単に栄光を手にできる訳ではない。■言葉の壁、文化の違い、優れた日本の指導者やノウハウを受け入れられずに去っていく、消えていく者もいる。今回優勝したサイラス・ジュイは来日当初、日本語が全く分からず苦労したという。初めは悪い言葉を覚えさせられましたと笑うが、今はとても丁寧な日本語で取材にも応じる。新聞は毎日読んで言葉の勉強にもしているという。北口監督にも全幅の信頼を寄せている。■今回、最低限の目標だった完走はしたものの悔しい思いをしたメクボ・ジョブ・モグス(アイデム)はご存知、山梨学院大学の出身だが、チームの誇り、友情、絆という「駅伝の心、襷への思い」を持つ。2連覇を逃したがダニエル・ジェンガも日本の生活19年、日本人以上に日本の心、武士道を知っていると評判。日本を第2の故郷として世界に羽ばたく、夢を叶える姿を応援したい。■真夏日のマラソンで「我慢してスタミナを温存した」ジュイには、今後の可能性を大きく感じた。今年の北海道はマラソンランナー・ジュイの誕生の地となった。◆画像は北海道マラソン上位3選手、左からジョロゲ、ンジュイ、モグス