原裕美子に関する記憶③ ― 2010/08/23 23:06
短髪、サングラス、なりふり構わずかのように走る様子は原のトレードマークだった。当時、監督の大森さんは必死の形相を「テレビをご覧の方にお見せしないようにサングラスをさせたのだ」と冗談めかして話していた。■名古屋で投げ捨てたサングラスは沿道のファンが大会事務局に届け、表彰式会場で原の手元に還った。試合の時だけの特別なサングラスだった。ヘルシンキも同じサングラスをかけ、途中で投げたが、日本から応援に来ていた高校の恩師が拾い、また原のもとに還る。2007大阪では最後までサングラスを外さなかった。■苦しそうな表情で、この子ダメなんじゃないかと思わせるのに頑張り抜く。人間は本当の限界の手前で、心がセーブをかける。本当の限界と無意識に体がブレーキをかける乖離幅を小さくさせることで好成績を出す選手もいる。原は限界を超えて頑張れるタイプの選手なのかもしれない。そして、少し頑張り過ぎてしまっていたのかも。■時折、目を閉じ泣き出しそうにも見る表情、肩を引き上げるような仕草。その度に福島・信夫路を走る15歳の少女が甦る。サングラスをしてもその表情は鮮明に浮かぶ。8月29日、原裕美子、復活の日になるか・・・。
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