原裕美子に関する記憶②2010/08/23 23:02

時は流れ2005年。シドニー、アテネと五輪は終わり、2大会連続金を受け継ぐ者たちへの期待が高まっていた。ヘルシンキ世界選手権の選考会でもあった名古屋国際女子マラソン。当時、日本記録保持者だった渋井陽子が注目を集めていた。この大会の事前の話題は渋井陽子一色だった。他にはアテネ選考会だった前年、土佐に敗れた大島(旧姓・田中)のリベンジなどが語られる程度。初マラソンの原の名は上がっていなかった。■地元テレビ局では大会前日、記者会見の会場のあるホテルから生中継する特別番組を放送していたが、その番組でも全編を通して「渋井」を押していた。そして、番組も終わりになろうかという時、司会者が出演者の一人、石井信さんにまとめのコメントを求めると、石井さんは原裕美子に注目と名前を挙げた。■僕らマラソン、陸上を取材している者は知っているけれど、それまで殆どプレゼンしていない選手名を突然出されても、多くの人は分かるわけもなく、番組は終わった。原は当時から故障がちで、海外合宿などで情報があまり出てこない状況もメディアの扱いを少なくさせていた要因かもしれない。■深い取材をされている石井さんだから原のデビュー戦にも注目し、結果、優勝者予想を的中させた。その石井さんも今年、急逝されている。原の初マラソン初優勝の記憶だ。その年の夏、ラドクリフの爆走を追いかけた姿は印象深い。心肺機能が優れ、脈拍が普通の人より少ないなどという取材をしたように思う。

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