26年ぶり自己との出会い2011/09/22 01:12

ブログにコメントを頂いた。自分の過去が明かされるもの・・・。自分でも正確に分からなかった1985年に走ったマラソンの記録が残っているとのこと。光町マラソン兼千葉県選手権。確かに出場していた。3時間を切ったのは覚えている。しかし、正確な記録や順位は・・・遠い過去に消え去ってしまっていた自分と26年の時を経て再会した。■初マラソンだった。大学の中長距離ブロックのメンバー全員が練習の一環で強制的にエントリー。監督からの指示はゆっくり行って折り返してから頑張ろうというものだった。距離走だから、トータルでしっかり走ろうと。ところがスタートすると体が動いた。監督の指示を無視して他のチームメートを置き去りにして、前の集団を追った。2つ目の集団(10位くらい)の中に入り、楽についていけた。無理にペースを落とすよりはリズムを大切にしようと考えることにした。マラソンのペースが心地よかった。中距離ランナーだったが、マラソンに向いているのではないかと思い始めていた。勘違いだった。■20キロ手前でマメができているのが分かった。折り返しのとき、痛くて上手く回れなかった。■後年、東京国際女子マラソンで谷川真理選手がマメを作ってペースダウンしたことがあったが、この経験があったので、テレビを見ながらそれと想像できた。■マメが痛くペースダウンしたが、前半の貯金があったので2時間半くらいではゴールできる、増田明美には負けない!のではないかとたかをくくっていた(増田さんの初マラソンは3年前のこのコース)。20キロを1時間8分、1時間12分くらいで折り返したのではなかったか。いや、もっと速かったか・・・。■しかし、結果は違った。折り返し後は、後続に次々と抜かれていった。チームメートたちの集団が私を追い抜いていった。ついていくことはできなかった。水泡がつぶれてくれたら、ペースアップできるのだがとも考えた。やがてマメはつぶれてくれた。しかし、ペースアップはできなかった。それどころか歩き始めてしまった。ただ、止まるともう進めなくなるような気がしてどんなにペースダウンしても歩き続けた。しばらくすると先ほど私を抜いていった後輩が給水で止まって水を飲んでいた。「進み続けよう」と声をかけて抜いた。しばらくすると走ってきてまた抜かれたが、止まって屈伸を始めたので、歩いて抜き返した。最後の100メートルくらいは元気が出てスパートした。■コメントくれた方によると残っている記録は2:54:23で93位だったらしい。大雑把に言うと前半が1時間、後半は2時間。後半だけで80人に抜かれている。監督に「ゆっくり行けと言っただろ」と叱られた。チームメートからも「無謀だ」と嘲笑された。ただ、当時、自分の中ではマメさえできなければ、もう少しまともに走り切れたはずだと思えてならなかった。■結局、箱根のメンバーにも入れず、インカレも出場できず大学を卒業。すっかり競技の一線からも遠ざかってからNYを2度、ホノルルで1度フルマラソンに参加した。私のマラソン出場回数は全4回。サブ3は1度だけ。半分、歩いた初マラソンが私の生涯ベスト記録となった。ただベストレースは92年のNYだったような気もする。

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